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茅ヶ崎の記憶を紡ぐ貸し間“木熨斗”


茅ヶ崎の地に、歴史と家族の物語を深く刻む一軒の家がある。
建築家・山口洋一郎が自ら設計し、いま未来へ向けて「永く遺し続けよう」と決意した「父の家」——「木熨斗」だ。
単なる住まいを超え、茅ヶ崎の文化景観として次世代へとつなぐため、この家は新たに「貸し間」として歩み始めた。
名優が愛した別荘から、父への想いを込めた設計へ
「父の家」のルーツは、意外にも歌舞伎界の巨匠・三代目市川段四郎の別荘にさかのぼる。明治中期から昭和初期にかけて、茅ヶ崎には数多くの別荘が築かれた。かつて松林が広がっていた南湖の閑静な一角に位置する、約300坪のこの敷地もそのひとつで、段四郎と、妻で女優の高杉早苗が所有していたものである。
戦後には、段四郎の息子である市川猿之助(のちの猿翁)が幼少期をここで過ごし、茅ヶ崎小学校に通った。そうした歴史を持つこの家を縁あって受け継ぐことになったのが、山口の父・山口文造である(昭和26年)。

ところが今から60年ほど前、石炭風呂が原因で家が火災に見舞われるという悲劇が起こる(昭和42年)。その焼け跡に新たな命を吹き込んだのが、当時まだ大学院生であった山口自身だ。「お前ちょっと設計してみないか」という父の言葉を受け、彼はこの地に自身の建築思想を注ぎ込んだ。
三角形の敷地を活かし、別荘竣工時の配置を踏襲。玄関から続くリビングには仕切りのない30畳の大空間が広がり、後の山口建築の特徴となる「よどみない空間」が誕生した。寝室は裏手の四角いボリュームに収めるなど、大胆で機能的な設計が際立つ。外構は変化しているものの、庭の趣は当時のままで、ゆるやかな時間の流れを今に伝えている。
「永く遺し続けよう」。貸し間としての「木熨斗」へ

しかし、この歴史ある家も将来起こるであろう相続の問題を検討しなくてはならなくなった。そじて家族会議が開かれ、ある決断がくだされる。「永く遺し続けよう」。この一言には、家への深い愛情と地域への責任感が凝縮されている。
「茅ヶ崎らしい景観を保つ」「使うことで老朽化を防ぐ」「相続対策」「管理費用を補う」という四つの目的を掲げ、この家は「木熨斗」と名付けられ、貸し間として新たな一歩を踏み出した。名前の由来は、三代目段四郎の名字「喜熨斗」にある。
山口は、かつて全国規模のプロジェクトを手がけていたが、ある時期から「地元で仕事がしたい」という強い思いを抱くようになったという。そして「地域にこだわり、つながることが、まちをつくることにつながるのではないか」という信念は、今も変わらない。「木熨斗」の取り組みは、まさにその信念を体現している。
湘南・茅ヶ崎の風土と共鳴する、建築哲学とまちづくり
「湘南に住むものにとって、湘南の魅力とは明るい太陽と大きな青空、潮騒の音、潮気を含んで松林を渡ってくる風そして何よりも、ゆったりとした時の流れではないでしょうか。」山口のこの言葉は、「木熨斗」が目指す空間のあり方、そして茅ヶ崎というまちの魅力を象徴している。
都会の喧騒とは異なる「ゆったりとした空間」を創造し、豊かなまちづくりに貢献する。建築家の手によって再生され、地域に開かれた「木熨斗」は、茅ヶ崎の過去と未来を繋ぐ、かけがえのない存在として、これからも多くの物語を紡いでいく。
木立に囲まれた「木熨斗」は、木造平屋ならではの落ち着いた空間が魅力。会議や懇親会、展示会、撮影や家族の小イベントなどに利用できます。


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(メールまたはInstagramのDMにて)
yoh@gd5.so-net.ne.jp
〒253-0061 茅ヶ崎市南湖3-17-20
[運営会社]株式会社YOH

山口 洋一郎
Yoichiro Yamaguchi
1946年生まれ。1971年東京工業大学(現東京科学大学)院卒。大学院時代に木熨斗を設計。東京の組織事務所を経て、1982年洋建築企画を設立、現在に至る。湘南を中心に、公共民間の文化施設や福祉施設、学校等の建築、住宅等を設計。自身が設計した「茅ヶ崎市美術館」にて2025年4月より美術館建築展に著名建築家とともに出展、好評を博す。
INFORMATION
木熨斗(きのし)
| 住所 | 茅ヶ崎市南湖3-17-20 |
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