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チガサキゴトよ、チーガ

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パシフィックビールまみれの座談会

パシフィックのビールが生まれた背景には「出会い」と「繋がり」の物語があります。

ビールに関して最初に登場する人物(この人がいなければパシフィックのビールは存在しなかった?)ビールへの道先案内人「Que」の店主横山さんを交え、パシフィックの缶ビールをプシュプシュ開けながら語っていただきました。

萩園のブルワリーはいかにして生まれたか。
誕生秘話をこっそり公開

Queにて。左から山本さん、大庭さん、店主 横山英伸さん。料理は出し巻き玉子 600円、お刺身700円〜

大庭(陸):初めて横山さんと出会ったのは、僕が加納食堂で働いていたときでした。加納食堂のオーナーと横山さんが同級生で、仕事終わりによくお二人に飲みに連れて行ってもらって。

横山:俺がこの店(Que)をオープンしたばかりの頃だよね。当時陸は二十歳そこそこで、「飲みに行こう」って誘うとついてくる可愛い子だなと思ってたの(笑)。でも、その頃から陸のビール愛の強さは感じてた。茅ヶ崎からわざわざ東京まで、友達を誘ってクラフトビールを飲みに行ってたもんね。

大庭:そもそも僕に初めて海外ビールを教えてくれたのも横山さんでしたね。「こういうビールもあるから飲んでみたら」ってエルマンボでヒューガルデンを飲ませてくれた。

横山:今思うと恥ずかしいなあ(笑)。

大庭:勧められて飲んだら、もう美味しくて美味しくて、どっぷりハマちゃって。バイト代を全部クラフトビールにつぎ込んでました(笑)。

山本:わかります。僕もお酒を飲み始めの頃はビールの美味さがわからなくて、チューハイとかばかり飲んでいました。でも初めてクラフトビールを飲んで、衝撃を受けました。こんな美味いビールがあるのか!って。

大庭:今僕らの工場がある物件を紹介してくれたのも横山さんでしたね。自分たちでもいろいろ探し回ったんですけど、なかなか手頃なものが見つからなくて。

横山:あの物件は、もともとうちのお客さんが大家さんなんだよね。『使っていない工場が萩園にあるんだ』って話してたのを思い出して。

大庭:借してもらえること決まって、工場の片付けから手伝いました。工場のオープニングのときも足を運んで下さって。「メタルワーク」という大家さんの工場名を入れたビールを作ったらお酒を飲めない方なのに飲んでくれて……

横山:そう、大家さんはQueでもお酒じゃなくてジンジャエール。ジンジャエールを飲みながら、店のレコードを聴いて帰るの。そのうちに大家さんから『一緒にレコードを買いに行こう』と誘われて、二人でハードオフに買いに行ったりして。なんだかすっかり仲良くなっちゃってね。

山本:大家さんがおっしゃってました。『この物件は空いたからすぐに貸しに出すんじゃなく、大切にしてくれる人に貸したい』と。横山さんという人が間にいてくれたから、僕らに貸してくれたのかもしれませんね。

勢い余って会社に電話!?
志賀高原ビールで学んだ大事なこととは

横山:それにしても、陸が志賀高原ビールに入社して長野に行くと聞いたときはびっくりした。よく決断したなって。

大庭:まだ若くて、勢いがあったからできたんでしょうね。実はその少し前に、志賀高原ビールに入れてもらいたくて直接会社に電話をしたことがあるんです、募集もしていないのに。で、なんとそのとき電話に出たのが当時専務だった今の社長さん。すげなく切られちゃいましたけど、当たり前ですよね、名前も言わず履歴書も送らず。世間知らずもいいとこでした(反省)。

横山:その後、ホップマンの田代さんが社長につないでくれたんだよね。

大庭:そう、田代さんから専務がホップマンにいるという知らせをもらって、すぐに駆けつけて、突然電話したことをお詫びして。そうしたら社長が「あのときのお前か!」って(笑)。

山本:その時の採用募集では、けっこうな人数が応募してたんだよね?

横山:何人採用されたの?

大庭:僕一人です。

横山:すごいじゃない!

大庭:もちろん田代さんの後押しが大きかったと思います。でも、採用されたのはやっぱり嬉しかった!

横山:いや、俺は当然の結果だと思う。パシフィックのビールを最初に飲んだとき、もう迷いなく「美味い!」って思ったもん。なんていうか、センスがあるんだよね、陸は。乗っている車もかっこよかったし、登山の趣味でも。だからビールも間違いなく美味いのを作るて分かってた。

大庭:そう言ってもらえて本当に嬉しいです…っていうのも、ビール造りってセンスが大事な要素で。そもそもどんなビールを作りたいかというのは感性だから、センスがないと始まらない。でもセンスだけではダメで技術も必要。ビールのレシピを作るには科学的な知識や計算力が求められます。ビールを作る人は半分サイエンティストで、半分アーティストだと僕は思っていて。

横山:なるほど。この10年で本当にいろんなことを勉強したんだね。

大庭:横山さんからも勉強させてもらいましたよ。

横山:え?  何? 何もないでしょ(笑)

大庭:僕は高校を中退して、加納食堂で働いてたでしょ。最初は漠然と仕事をしていけれど仕事自体は嫌いじゃなかったので、いつかは自分で飲食店をやろうと思っていました。でも横山さんが30歳で独立して自分の店を始めたのを実際に見て、「自分もこのくらいの年になったら独立して店を持ちたい」って目的がはっきりしてきて。結局飲食店じゃなくブルワリーになったけど、横山さんというお手本が身近になかったら、もっといろいろと迷ってたかもしれないです。

一つ一つの「出会い」と
「繋がり」を大切にしたい。

横山:最近、うちは明らかに一見さんが増えたのよ。「パシフィックのビールが飲みたい」って。ファンが増えてきているんじゃないかな。

山本:ありがたいですね。実際地元の飲食店さんからもお問い合わせいただくのですが今の生産規模だと必ず前向きにお答えできるわけではなくて。今お付き合いのあるお店にも、十分に卸せているかと言ったら必ずしもそうとは言えないですし。多くの方に飲んでいただきたい気持ちはありますが、現状では今お取引いただいている方々にしっかりと向き合いたいと思っています。

大庭:地元に貢献したいという思いはもちろん僕にもあります。全国の人にパシフィックのビールを知ってもらいたいという気持ちもあります。でも、どんどん作って売ればいいかというと、そうじゃない。やっぱり、パシフィックのことを理解してくれている人のところに届けたいなと。でないと、丹精込めて作ったビールもただの飲み物になってしまう。それは僕らの本意ではないという気がするんです。

山本:まだスタートして半年なので、これからいろいろと変わっていくとは思います。ビールに限らず、皆さん新しいものに目が行きやすいとは思いますが、無理に増やそうとはせず、自然とタイミングが来た時にまたお付き合いできれば嬉しいと思っています。

横山:しっかりしてるなぁ。本当に29歳?って思っちゃう。ふたりの方向性がピッタリ合ってるのもいいよね。

山本:そこはブレようがないというか。僕はもともと陸がやるから、陸のやることをもっと広げていきたいというのがスタートなので。それがブレたときは、僕のエゴか、あるいは陸のカッコよさがなくなったときか、どっちかですかね。

横山:…なんか、泣きそう。カッコいい。

Queには、もともとサーバーがなかったが「いずれ陸がビールを作るだろうから」と横山さんが手作りしたという愛に溢れるエピソードが。6つのタップが全てパシフィックブリューイング。生ビールが飲め、缶も置かれている。
5月に行われたQue 13周年イベントでは、パシフィック「QUOTIDIE(ケルシュ)」が開栓、延べ300名が周年を祝った(茅ヶ崎館にて) / photo:もも
Que 13周年イベント、パシフィックブリュワリー「QUOTIDIE(ケルシュ)」のラベル。 イラストはUNO  YOSHIHIKO。Queの壁や、醸造所の照明も手がける。照明は aVintageにて販売。

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writter:藤原千尋
ふじわらちひろ/1967年東京生まれ、2006年より茅ヶ崎市松が丘在住/出版社勤務を経て単行本ライター。ビジネス、教育、社会貢献、生き方老い方など幅広いジャンルの企画とライティングを手がける。

INFORMATION

Que(ケ)

住所 茅ヶ崎市共恵1-6-1
TEL 0467-81-3248
営業時間 17:00~24:00
定休日 不定休

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