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Music City Chigasaki
ミュージックシティ茅ヶ崎
茅ヶ崎ミュージックの新時代
連載コラム「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チガサキ」が人気の宮治淳一さんは、本誌10号(21年6・7月号)のインタビューで、「ミュージシャンを援助するような施設やムードが生まれるといいな」と口にしていた。
そのための一環として、コミュニティFM局を作り、そこを市民の喜ぶ場所にすることが大切だと説いた。多くの音楽家や芸術家を輩出してきた茅ヶ崎だからこそ、「ミュージックシティ茅ヶ崎」構想には“根も葉もある”のだという。
問いを立てて、背景を調べあげて、その根拠を映画や書籍やさまざまな活動を通してわたしたちに見せてくれる宮治さん。「今年は茅ヶ崎と音楽にとって、1975年以来のエポックメイキングになる」と展望する真意をたずねた。
茅ヶ崎ゆかりのミュージシャンの人生を書き記そうと心に決めた
2000年頃から、茅ヶ崎と音楽について証言できる人が元気なうちに話を聞いて、それを一冊の本にまとめたいと考えていた。代表的な二人のミュージシャン、加山雄三さんと桑田佳祐さんの周辺や前後の時代にも、優れた音楽家が茅ヶ崎と深い縁で結ばれていることに気づいて、「それはなぜだろうか」と疑問に思ったことがきっかけ。
東海道五十三次の藤沢と平塚の宿にはさまれた通過点にすぎない、どうでもいい場所だったと語る宮治さん。その、どうでもいい場所だった茅ヶ崎が文化人、とくに音楽に関して優秀な人物を多数輩出していることに「おもしろい」と感じた。この特殊性って一体なんなのだろうと自分なりに調べてみたら、すぐに「すごいな。徹底的に調べてやろう」と思い立ち、資料館や図書館に通って、関連する書籍を読み込んだ。
そんな最中、映画『茅ヶ崎物語 〜MY LITTLE HOMETOWN〜』(2017年公開)への出演を打診された。了解すると、茅ヶ崎と音楽について本を書くために取材をしていることが作品の前提になって、撮影は進んでいった。作中でそう発言したものだから、本を出さざるを得ない状況になった。そんな風に好奇心からはじまった調査と執筆は、同年に上梓した書籍『MY LITTLE HOMETOWN 茅ヶ崎音楽物語』として結実した。
「締切が文化を作る、とおっしゃった細野晴臣さんはほんとうに正しい。いつか出したいでは永遠に出せない。退路が断たれ、締切というマジックワードのあったおかげで、なんとか本を出すことができたのです」
移住して来た=渡来(TRY)人たちとの邂逅から生まれるもの
宮治さんは近頃、茅ヶ崎がより人を呼び寄せる力を持つようになってきたと感じている。ここに技術や知識を持って来てなにかをやってみようと思う人=渡来(TRY)人が増えた。ブランディンの徒歩10分圏内には、少なくても10名以上のミュージシャンや音楽関係者が住んでいるという。だれかが住みはじめて、その人を訪ねて東京から遊びに来た人が、「ここいいね。どこか部屋は空いてないかな」となっていくのではないかと想像する。
南佳孝さんはデビュー後すぐに東京からやって来て、長きにわたり茅ヶ崎の住人だった。奄美大島生まれのシンガーソングライターの我那覇美奈さんも茅ヶ崎に住んでいる。今日本で一番のハーモニカ奏者といっていい倉井夏樹さんは、新潟県長岡市の出身。佐渡島の見える寺泊から、太平洋側へとやって来た。倉井さんも、スティールギター奏者の宮下広輔さんも、ミュージシャンのCaravanさんも、渡来(TRY)人。SuchmosのYONCEこと河西洋介さんは地元出身だが、メンバーの多くが茅ヶ崎へ引っ越して来た。YONCEはこの10月から、音楽ユニット・Hediban’s を始動させるという。
また、茅ヶ崎生まれのミュージシャン・岡本洋平さんは9月7日、矢畑に総合スタジオ STUDIO NOVZO CHIGASAKIを開業した。2時間、練習するために貸し出すだけの箱ではなく、人と人が出会い、ひょっとしたら楽器を演奏しない人も行ってみたいと思わせる場所を作りたいのではないかと宮治さん。じつは、ブランディンに置いてあったテーブルや壁のポスターを、同スタジオに提供している。「音楽の未来に夢を託している人たちがいるなら、先陣としては協力していきたい思いがある」
こうした地元出身者と移住者とのフュージョンから、新しいなにかが生まれることを期待している。
茅ヶ崎FM(エボラジ)開局!
10月1日の市政記念日に、近隣のラジオ局から遅れること25年、ついに待望の茅ヶ崎FMが開局する。奇しくもその日は、サザンオールスターズ茅ヶ崎ライブ2023の最終日。本誌21号(23年4・5月号)のコラムで宮治さんは、背番号1の桑田さんとともに戦い優勝した茅ヶ崎市立第一中学校の野球部の思い出と、その会場だった茅ヶ崎公園野球場で2000年と13年に開催されたサザンのコンサートに言及して、「デビュー45周年の今年も」との願いを記した。
そして、願いは現実になった。「サザンが茅ヶ崎でライブをする日にラジオ局が誕生するなんて、すばらしい日になるね」と破顔した。「なにかが起こる時というのは、不思議とさまざまな要素が惑星直列のように重なるものです。それは計画していてもできるものではなく、偶然なのだろうが最終的には必然になる。人間の情熱って、合うときには合うものだよね。合わせようと思っても全然合わないんだけど」
10、11月に市内で開催されるそれぞれの音楽フェスを、おもしろいと思いますよと宮治さん。アマチュアが趣味でやっているレベルではなくて、技術、新しさ、先の見据え方はもはや世界基準であり、どこへ出しても恥ずかしくない人たちがやっているのだという。
「こうした若い人たちの活動を、茅ヶ崎FMで紹介していくような循環が生まれたらチャンスは広がりますよね。応援していきたいです」
世界中の音楽ファンが一度は行ってみたいと思うミュージックシティに
アメリカにおいてカントリーミュージックで名を成そうとする人は、ロサンゼルスやニューヨークへは行かずに、テネシー州のナッシュビルへ向かうという。
およそ100年前に、「グランド・オール・オプリ」というカントリーミュージックのラジオ番組が全米に放送されると、アメリカ南部のちっぽけな街だったナッシュビルは、一度は行ってみたい憧れの音楽都市へと変貌した。
大手レコード会社すべての支社はもちろんのこと、多くのインディペンデント・レーベルが事務所を構え、それらに付随するレコード屋や楽器店、スタジオや音楽出版社などができて、エンターテインメント産業と観光などによって発展していった。この地を何度も訪問している宮治さんによると、ナッシュビルで生まれ育ったカントリーシンガーはほとんどいないそうだ。
人口24万人のJust Another Small Cityな茅ヶ崎に、ミュージシャン、文化人、イラストレーター、造形作家など無から有を生む人たちがなぜやって来るのか。どうして創作意欲が湧くのかを聞いてみたい、知りたい。
茅ヶ崎は日本のナッシュビルになるかもしれない。もし続編として本を出すのなら、今度はそういった人たちに取材した本を作ってみたいという。
1975年以来、茅ヶ崎ミュージックは新しい時代の幕開けを迎える
1975年は、カフェ「ブレッド&バター」が開店し、桑田さんらとはじめた音楽親睦団体「湘南ロックンロールセンター」の第1回コンサートの開かれた年。
あれから50年近くの時が流れ、茅ヶ崎ミュージックは新しい時代の幕開けを迎える。2年前に構想を語った「ミュージックシティ茅ヶ崎」に、少しずつ近づいていく。
「30年後にはだれかが『2023年がターニングポイントだったね』と言ってくれるんじゃないかな」
場所:BRANDIN
題字:Ryu Ambe
文 :小島秀人 株式会社カノア
INFORMATION
BRANDIN(ブランディン)
住所 | 茅ヶ崎市富士見町1-2 |
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TEL | 0467-85-3818 |
営業時間 | 13:00〜18:00 |
定休日 | 水・木休(不定休あり) |
URL | ブランディン公式サイト |