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チガサキゴトよ、チーガ

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開高健記念館20周年企画 ラチエン通りの開高さん2️⃣

先生と学長の特別で不思議な関係

林 正則/優子

バックペイン(背中の疼痛)という持病のあった開高健は、水泳が唯一の救済策だとわかると、自宅から2キロほど離れたプールへ通うようになった。「開高さんに人生を教えてもらった」と語る林水泳教室の正則さんと優子さんに、当時を振り返ってもらった。

 

 不愉快だった。教室を訪ねて来た時の「教えてくれ」という態度がものすごく横柄だったから、本を読まない私は「開高健なんて知らないよ。ふざけんじゃないよ」と思ったことをよく憶えている。そんな出会いから、損得の無い、作家だからと特別扱いをしない特別な関係がはじまった。開高さんは50代、私は30代半ばだった。

 泳げなかった開高さんは、顔を水につけることさえ苦手、けのびで数メートル進むのがやっとだった。しかし、いざ教室へ通いはじめると真面目に、一所懸命に取り組んだ。やがて、けのびが10メートルに届くようになって、腕をまわしてクロールっぽい動きができるようになってくると、3ヶ月後には個人指導を申し込んできた。それまでは午前中の初心者・レディースクラスだったからね。

 週2回、レッスンのはじまる数時間前には必ず教室へやって来た。律儀だなと思った。自宅から茅ヶ崎駅まで歩いて海苔弁当や鮭弁当を買って、そこからまた教室へ歩いてやってきた。そうして、事務所の椅子にどかっと座って弁当を食べはじめた。ハンバーガーを買ってくれば、セットのフライドポテトは食べずに「おい小僧、やるよ」と言いながら三人の息子たちへ差し出した。時には「小僧たち、なにが食いたい」と聞かれて、息子が「ラーメン」って答えると、近所にあった中華料理店に連れて行ってくれた。

 自分に対して何メートル泳ぐという目標を立てて、それを達成するとご褒美を振舞った。まずは100メートル泳げたご褒美として、私たちへのお礼を兼ねたお祝いの会を開くことになった。ステーキ、キャビア、ワイン、シャンパンはドンペリ、それもケース単位で届くから、それまで口にしたことのなかったようなご馳走が並んだ。そうやって「次はなにが食べたい」なんて聞いてくるものだから、優子と二人でプールサイドから「がんばれ、がんばれ」って応援したものだよ。

 作家仲間の大江健三郎さんに「今日は200メートル泳いできたよ。気持ちがいいもんだね」と自慢気に言ったら、「ふ〜ん、ぼくはもっと泳げるよ」と笑われたそうだ。そこから開高さんの闘争心に火がついたね。「林くん、なんとかしてくれ」と。

 最終的には3000メートルまで泳げるようになった。開高さんほど熱心に水泳に取り組んで、ここまで成果をあげた大人の生徒さんは他にいない。目標を達成するたびに〈お祝い〉が開かれて、こちらは1000メートル泳げるようになるたびに、オリジナルのTシャツを作って差し上げた。気に入ってくれた開高さんはそれをよく着ていたね。水泳を教えてもらったお礼に、「ぼくはなにを林くんに教えたらいいかね」と聞かれたので、「本を読まないから先生に教わるものはなにもないよ」と答えたものだ。開高さんからは、「林くん」あるいは週刊誌に連載していた『風に訊け』に登場する「学長」と呼ばれ、開高さんを「先生」と呼ぶような間柄になって、美味しい酒と料理を教えてもらった。

 ワインのもたくさん聞かされた。ある時、「ヌーヴォーって知ってるか」と聞かれて「わからないよ」と返事をすると、「ヌーヴォーのパーティーをやるからみんなを呼べ」と言われた。開高さんは会場の六本木のホテルに、解禁されたばかりのボジョレーヌーヴォー(その年に収穫したぶどうで造った新酒ワイン)を樽で持ってきた。サントリーの佐治敬三さんや写真家の立木義浩さん、編集者の永山義高さんなど有名な人たちが大勢集まった。この日が、後に担当編集者ら数十名を集めて盛大に行われることになるボジョレーヌーヴォーの会の第1回になった。当時まだ日本では知られていなかったヌーヴォーを国内で味わう習慣は、ここから広がっていったそうだ。その席で紹介してもらった多くの出席者とは、その後も親しいお付き合いをさせてもらった。

 開高さんの書いたロマネ・コンティ(最高級ワイン)の文章について、「本当に飲んだことがあるのか」と自尊心をすこしだけくすぐってやると、悔しがって「じゃあ今度飲むか」と返ってくる。すると、ロマネ・コンティが2ダースほど木箱で送られて来た。ロマネ・コンティはよく飲んだものだ。二人で一晩に8本飲んだこともあったな。

林 正則さん

 他人を自宅へ招待するような人ではなかったが、私たちはしょっちゅう出入りしていた。開高さんから「暇か、空いてるか」なんて電話がかかってくる。「空いてるよ」と言うと「ちょっと一杯飲もうよ」ってなる。玄関からあがらずに、庭の道(哲学者の小径)を通って直接書斎へうかがうと、いつもぼうっとした表情で外を眺めていた。そして「おう来たか」とグラスを出してくれる。ジョニーウォーカーの黒(スコッチウイスキー)を1本手渡され、ストレートで飲まされた。「ちょっと濃いな」とぼやくと、ようやく氷を入れてくれた。開高さんはスミノフ(ウォッカ)をストレートで飲んでいた。1本飲み終えると、奥様の牧羊子さんが部屋の奥から顔を出して、「お腹空いた」と聞いてくれて寿司の出前を取ってくれた。「よし、林くん大丈夫だ」と言われると私は家に帰る。そこから三日三晩、開高さんは書きっぱなしになるのだった。当然連絡は途絶えるが、次に水泳教室へ現れた時には「ふ〜」と深く息を吐いていて、それで原稿を書き終えたことがわかった。そんな呼び出しは、昼間、夕方、夜と時間はお構いなしだった。

 優子にとっても特別な思い出がある。開高さんは自分が関わったすべての文学賞のパーティーへ私たちを招待してくれた。そのかわりタダでは駄目だと、候補作をすべて読まされて、どれがよかったのか感想文を書いてくと優子に指図した。それが優子の役割だった。もちろん、授賞作を当てることも外すこともあった。「マダムは母であること、それから主婦であることを忘れて、一人の女として着飾ってパーティーに来てほしい。会場で美味しいお酒を飲んだら、今夜は茅ヶ崎に帰っても焼酎を飲むんじゃないよ」と釘を刺された。ほんとうに優しかった。海外から帰って来ると「この前はカナダで砂金を掘ったんだ」と言って、林の頭文字「H」の形に金を集めて固めたペンダントヘッドを、「マダムにプレゼントしてくれ」と私に手渡してくれたこともあった。宝石に執着して取材していた時があったからね。

優子さんに贈られた砂金でできたペンダントは開高さんが手作りしたもの。天地2cmほど(初公開)。1986年頃から開高は宝石の研究と収集をはじめた。

林 優子さん

 また、当時テレビで活躍していたある美食家のことを「あいつはタダ食いだから認めない」と批判して、「林くん、ものはタダで食うんじゃないよ。自分が働いて得たお金で食べろよ」と言っていた。「ウイスキーなどのいただき物はとって置かないですぐに飲むこと」、そして「味がわかるまで食べろ、わかるまで買え」とも言われた。それは人生そのものの教えだと今になってわかる。基礎を知らなければ味はわからない。要は勉強だね。すべては学びなのだということを、最近になってようやく思うようになった。

 バックペインのあった開高さんに、「先生、運動不足だから治らないんだよ」と叱咤激励した。泳げばすっきりすると聞いたので、ストレッチの方法も教えた。さぞかし痛かったことだろう。やがて、痛くなる間隔が徐々に徐々に短くなっていった。近くで見ていたものだから、かわいそうだったよ。亡くなる2年ほど前から、水泳教室に来られなくなってしまった。

 こちらは親との折り合いが悪くなり、家を飛び出して6年間茅ヶ崎漁港で漁師をやっていた。ある日海岸で一服していると、散歩をしていた開高さんと偶然に再会した。目が合うと、「家の揉め事はどうなったんだい」と私の心配をしてくれた。亡くなる数ヶ月ほど前のことだった。それからは、亡くなるまでの空白の6ヶ月間といわれる時期に開高さんと会っていた。「どえらいことが起きるかもしれないから楽しみにしておいて」とも聞かされた。それは、モンゴルでチンギス・ハーンの墓を探検する計画のことだったのか、もしかしたらノーベル文学賞を受賞する予感がしていたのかもしれないね。

 釜揚げしらすが食べたいと言うから、開高さんの元へ届けた。すでに食べ物をあまり受け付けなかったが、「美味しいって丼一杯食べたわよ」と牧羊子さんが教えてくれた時はうれしかったな。しばらくすると、テレビのニュースで亡くなったことを知った。

 じつは、開高さんの知らないことを教えたりもした。息子たちを実家に預けて、性に関しては晩熟そうな開高さんとアダルトビデオの観賞会を開いたのだ。反対に、水泳教室の友だちを集めてキャビアの本物と偽物の食べ比べをやらされた。そんなことをしょっちゅうやっていた。当時の教室の会員さんたちは、日本を代表する有名な作家だとは思っていなかったんじゃないだろうか。あんこう鍋をやった時も調理は開高さんが担当した。教室の友だち数人を引き連れて、尾崎征彦さん(紀世彦さんの弟)がやっていた繁やにも通った。ある夜、帰り際に征彦さんから「開高さんは気をつけてあげた方がいい。トイレで血を吐いていたんだよ」と教えてもらったことがあった。すでに病魔に侵されていたんだ。

 私にとっての先生は心根の優しい、とてもいい奴だった。「本を読まないと眠れないんだ」と言っていた開高さんのことを、もっと皆さんに知ってほしいなと思う。

館内には現在も開高さんから贈られた特大の写真パネルが展示されています。

INFORMATION

林水泳教室

住所 若松町12-1
TEL 0467-86-6866
定休日 Pあり
URL HP

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