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チガサキゴトよ、チーガ

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宮治淳一のワンス・アポン・ア・タイム・イン・チガサキ

其の十三

金曜の夜7時は茅ヶ崎FMにROCKON!新番組「チガサキ・ドーナツ・レコード・ショップ」

 

 我が家のラジオの歴史は父親が持っていた木製の大型5球スーパーに始まる。1960年ローマ・オリンピックの放送を深夜これで聞いた記憶がある。64年2月新し物好きの母親が秋葉原へ行きビクター製のステレオを買ってきた。すぐに姉がこの観音開きの家具調ステレオに飛びついてラジオを大音量で聴き始めた。折しもビートルズがラジオでかかろうとしていたタイミング。家中に日本語で歌われない音楽=洋楽が鳴り響き、しばらくしてこれこそが生涯のマイ・ミュージックになる。姉がFMという放送が聞けるらしいといって屋根に5本の素子がついたアンテナを建て「FM東海」を聞いていた。

 1966年小学5年生の誕生日にスタンダード社製の6石トランジスター・ラジオを買ってもらい、深夜寝床でイヤホンを耳に入れダイヤルを回していると英語放送に出くわした。FENという進駐軍の放送でそれまで全く聞いたことのない「洋楽曲」が次々かかって狂喜した。中学生になると木製5球スーパーのキャビネットを取り外し剥き出しの通信機風にし、屋根に逆L型の長いアンテナをしつらえ、夜になると日本中のAM局を聞いて受信報告を書き局に送った。1週間もするとお礼のベリ・カードが届いた。RKB毎日(福岡)や東海ラジオ(名古屋)など遠方の放送局を面白いように聞くことができた。

 中学3年生になって自分専用のステレオを買ってもらった。プラスチックの箱にスピーカーが入っている安物だったがこれで画期的に私の音楽環境は進化し1日中自分の部屋で数少ないレコードとラジオを聞くことができた。高校に入るとラジオ関東(現ラジオ日本)で「全米トップ40」が始まり、深夜放送の最高峰「林美雄のパック・イン・ミュージック」、FENのオールディーズ番組「ジム・ピューター・ショー」を聴きまくった。大学に入学すると迷うことなく放送研究会に所属した。いつかご機嫌なロックンロールをかけまくるラジオ番組でDJをすることを夢見た。

 あれから早半世紀、ついに出番がやってきた。この10月に産声を上げた茅ヶ崎FMで毎週金曜日午後7時から1時間「パリミキ presents チガサキ・ドーナツ・レコード・ショップ」でアナログ・シングル・レコードをかけ、叫んでいる。ROCK ON!

FEN放送で出会った生涯の友となる名曲


宮治淳一  Jyunichi Miyaji

1955年茅ヶ崎市生まれ。ラジオDJ、音楽プロデューサー。「ミュージック・ライブラリー&カフェ ブランディン」を経営する傍ら、茅ヶ崎FM 「エボラジ5UP(月・火)」・ 「チガサキ・ドーナツ・レコード・ショップ(金)」、ラジオ日本「宮治淳一のラジオ名盤アワー」、湘南マジックウェイブ「宮治淳一のアワ・ヒット・パレード」のラジオDJを担当。サザンの名付け親。「ミュージックシティ・茅ヶ崎」を構想中…。

『茅ヶ崎物語〜MY LITTLE HOMETOWN〜』
(ライブ・ビューイング・ジャパン)書籍
『MY LITTLE HOMETOWN 茅ヶ崎音楽物語』(ポプラ社)

DVD
『茅ヶ崎物語〜MY LITTLE HOMETOWN〜』
(ライブ・ビューイング・ジャパン)

BRANDIN(ブランディン)
宮治夫妻が1999年にオープンしたミュージック・ライブラリー&カフェ。コーヒーを楽しみながら60〜70年代のポップ・ロックを中心としたアナログLP約1万枚を自由に聴くことができるほか、いまとなっては希少なジュークボックスでの音楽再生も可能。 

富士見町1-2
☎️0467-85-3818
水、木休  13:00〜18:00 (不定休あり)
http://brandin.cafe/


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