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チガサキゴトよ、チーガ

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宮治淳一のワンス・アポン・ア・タイム・イン・チガサキ

其の十四  最終回

商店の世代交代が進む茅ヶ崎。情熱、アイデア、チャレンジ精神に富んだ若い人たちのチャンス!

 

 永遠、という言葉は個人商店にはあてはまらない。ここにきてどんどん閉まっている。この年末年始茅ヶ崎駅南口「濱田屋」、その少し東側の「めんどころ むさしの」、平塚須賀港近く蕎麦屋「住よし」、藤沢遊行通り街中華の名店「大和屋」が相次いで長い歴史に幕を下ろした。市場は常に動いている。消費者の動向、嗜好が変わればそれに合わせて変わっていく。

 私が小学生の頃牛丼やカレーやカフェのチェーン店はなかった。家電量販店も古着屋の大型店もなかった。そのころ、コーヒーとは瓶入りの「ネスカフェ」の粉をカップにいれ熱湯を注ぎ、角砂糖を入れ、もしあったら「クリープ」を少々、というもの。パンはお菓子屋で売っている「第一パン」か「昭和堂」の8枚切りのことを指していた。ビールも酒屋で売っている「キリン」の大瓶のことだった。ペットショップもなく、よって動物病院も同級生の湯川君のところしかなった。

 今や茅ヶ崎、特に南側はコーヒー豆焙煎所、カフェ、ベーカリー、クラフト・ビール醸造所が共倒れするんじゃないかと心配するくらい増殖している。そのほとんどが以前の商店の跡地をリノヴェーションしている。

 その昔本村通りと呼ばれていた桜道にある古い布団屋がある日突然コーヒー豆焙煎所に生まれ変わっていた。と、思えば閉まっていた定食屋が早朝、昼、晩、と1日フル回転で色合いを変えて「三毛作」で稼働し始めた。ラチエン通りの自転車屋の横に狭いながら個性的な居酒屋がある。店主は遠く佐賀県からやってきた若者だ。唐津名物「ギョロッケ」を食することができる。老舗パン屋「冨貴堂」の復活も嬉しいの一言だ。

 潤沢な資金や経験はないが、情熱、アイデア、チャレンジ精神に富んだ血気盛んな若い人たちにチャンスが訪れている。商店の主役がどんどん交代している。業態を変え新しい個人商店ができて街は活性化する。良くも悪くもコロナ禍が人の思考転換を早めた。人口減少の日本にあって茅ヶ崎市のそれは増えていて、その原動力は社会増=市外からの流入者たちだ。茅ヶ崎に何かを求めてやってきた彼ら=渡来(トライ)人と原住民とのケミストリーはこれからが見ものである。

 このコラムは今回で一旦終わりにすることにしました。長い間ご愛読ありがとうございます。いま私は茅ヶ崎FMで月と火曜日夕方生放送「エボラジ5UP」でしゃべっていまして、茅ヶ崎とその近郊の面白い人、何かを始めた方をゲストで招いて色々興味深い話を伺っています。「この人は!」という方をご存知の方はご連絡ください。自推、他推問いません。brandin@beige.ocn.ne.jp 宮治までどうぞよろしく。

茅ヶ崎で新しいことにチャレンジしている方にエールを込めて


宮治淳一  Jyunichi Miyaji

1955年茅ヶ崎市生まれ。ラジオDJ、音楽プロデューサー。「ミュージック・ライブラリー&カフェ ブランディン」を経営する傍ら、茅ヶ崎FM 「エボラジ5UP(月・火)」・ 「チガサキ・ドーナツ・レコード・ショップ(金)」、ラジオ日本「宮治淳一のラジオ名盤アワー」、湘南マジックウェイブ「宮治淳一のアワ・ヒット・パレード」のラジオDJを担当。サザンの名付け親。「ミュージックシティ・茅ヶ崎」を構想中…。

『茅ヶ崎物語〜MY LITTLE HOMETOWN〜』
(ライブ・ビューイング・ジャパン)書籍
『MY LITTLE HOMETOWN 茅ヶ崎音楽物語』(ポプラ社)

DVD
『茅ヶ崎物語〜MY LITTLE HOMETOWN〜』
(ライブ・ビューイング・ジャパン)

BRANDIN(ブランディン)
宮治夫妻が1999年にオープンしたミュージック・ライブラリー&カフェ。コーヒーを楽しみながら60〜70年代のポップ・ロックを中心としたアナログLP約1万枚を自由に聴くことができるほか、いまとなっては希少なジュークボックスでの音楽再生も可能。 

富士見町1-2
☎️0467-85-3818
水、木休  13:00〜18:00 (不定休あり)
http://brandin.cafe/


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