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チガサキゴトよ、チーガ

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CYCLE BOY 谷信雪

閑静な住宅地をぬけると、牧歌的な風景のひろがる甘沼。屋根に自転車をかかげた牛舎のような建物が見えます。そこは、オリジナルデザインのハンドメイド自転車を手がけるCYCLE BOYさんのアトリエです。

美しさと操作する楽しさ、たしかな機能と遊び心、懐古と先進の共存する唯一無二の作品が人気のサイクルアーティストを紹介します!

職人気質の芸術家肌

納品するまでに1年かかったカスタムオーダーのモペット(2023年)

 サドルに脚を取り付けた作業用スツールに腰かけて、モペット(ペダルのある原動機付き自転車)を修理している谷信雪さん。「これは納品するまでに1年かかったの。カスタムをオーダーしてくれた人がチェーンケースを選ぶのに半年悩んで、ベルの色を赤か青に決めるのに1ヶ月も悩んでいたから」と静かに笑った。

 ここCYCLE BOYは、さまざまな自転車のパーツとともに、試作や完成品が展示・保管されているガレージであり、すべての作品を創作する秘密基地のようなアトリエだ。一部にヴィンテージパーツを用いて組み立てるハンドメイド自転車はユニークなものばかりで、天井から吊るされた木製ハンガーの飛行機や、巨大な天使の羽根が風に揺れている。フレームを自在に曲げて作ったアートな照明は、こちらをうかがっている生きもののよう。ここが愉快な場所であることを、訪ねた瞬間に理解する。

 もの作りやデザインに興味のある人たちから、憧れと尊敬の眼差しを向けられる谷さんの妥協しない真摯な姿勢や、デザインと機能を同時に考える優れた感性、他人のよろこびを支えようとする献身的な態度は、父親の影響や生い立ちによって形づくられたものなのだろう。

ヴィンテージパーツ(1955〜1970年製のフレーム、ギヤ、サドル、ベルなど)を組み合わせて世界で一台の自転車をつくり出す。古い部品を使うのは懐古趣味からではなく、クオリティーが高く美しいため。足りないパーツはワンオフで製作する
谷さんが実際に使用しているパーツ

波乱の半生

 谷さんの父親は、埼玉県でCYCLE BOYという自転車店を営んでいた。小児麻痺によって手足に運動障害の残る女性が乗ることのできる自転車を作って、無償で提供するような人だった。ハート型に曲げたパイプを背当てにすることで身体を安定させた。踏み外さないように雪駄をペダルに固定して、フレームはピンクに塗装した。その自転車を受けとった女性の感謝する姿を、今も鮮明に憶えているという。 そんな具合だから家計は苦しかった。「こんなにも過酷なのか。自転車屋になったら生きていけないな」と、子どもながらに思っていたそうだ。

 大好きだったおもちゃを作りたい、そんな仕事はあるのだろうかと調べたら、プロダクトデザイナーという職業だった。サレジオ工業高等専門学校に進学して、卒業するとシャープ株式会社へ入社したのは、サラリーマンへの強い憧れがあったからだ。配属先は総合デザイン本部。プロダクトデザインの職に就いた谷さんは、ラジオカセットや受話器などのデザイン設計に携わり、多くを製品化した。おなじ部署の後輩だった河野仁さん(現アピオ株式会社社長)とは、一緒に製品開発することはなかったが常に遊んでいたと振り返る。

 そんな頃、年に4日しか仕事を休まなかった父親が急逝した。残された自転車店をどうしたらいいのか結論を出すために、シャープを休職して実家に戻った。会社は3年間も待ってくれたが、復職せずにそのまま家業を継いだ。だが、自身に無理な負担を強いていたのだろう。4年が過ぎた頃、うつ病と診断された。どうせなら人生の最後は海の近くに住みたいと思い立ち、店をたたんで家族とともに埼玉県の志木から茅ヶ崎へ引っ越した。再起をはかるも、病気を抱えたままではうまくいかなかった。当時よく店に来ていた常連客に在庫を譲り、デザイン事務所に再就職した。

 ところが、谷さんと自転車の縁は切れなかった。CYCLE BOYの在庫を譲ってもらったその客は、鉄砲道で自転車店をはじめた。必要なノウハウや取引先を惜しみなく伝え紹介したのだが、ほどなく、頻発するクレームが谷さんの耳にまで届くようになり、取引先への支払いは滞り、ついには交通事故を起こして逮捕されてしまった。店の前に立ちすくんだ谷さんは、「おれはまたここで自転車屋をやるんですか」と神様に問うしかなかった。また、3度目の自転車店がはじまった。

人智を超えたなにか

 ある日、アパレルブランド45RPM(通称フォーティーファイブ)の企画担当者だと名乗る男性が来店し、「うちオリジナルの自転車を作ってほしい。まずは社長の話を聞いてくれないか」と頼まれた。谷さんは電車に乗ることができないほど落ち込んでいたが、これまで作ってきた自転車の写真を収めた回転式カードホルダーだけを持参して、なんとか45RPMの社屋までたどり着いたという。

 回転式カードホルダーを社長に提示すると、くるくると写真をながめて、見終えるとこちらに投げ返してきた。辛い思いをしてここまで来たのに、こんな扱いなのかよと嘆きたくなった。

 すると、「費用はすべて出すから。いつまでも待つから」と社長は言ってくれた。生きている実感のわかない、完全な絶望から引き上げてくれるチャンスを神からもらった。そう思った。

 45RPMは自社の商品を年間100万円以上購入してくれる顧客に、谷さんのオリジナル自転車をノベルティとして用意したのだった。600人にもなった顧客のなかには、谷さんの自転車がほしくて洋服を買っていた人も少なくなかったという。男女関係なく、小柄な人も大柄な人も乗れたらいい。それが45RPMから出された唯一の条件で、谷さんは製作のすべてを任された。

 気持ちは180度反転した。タイヤを小径にしてホイールベースを長くしたら小柄な人はもちろん、サドルを高くすれば大柄な人も脚をぶつけないだろう。そんな風に基本設計を進めていった。それまでは、量産するなんて発想はまったくなく、資金も信用もなかったが、何もない自分に仕事を与えてくれた。「自分はできる」と全能感のようなスイッチが入った。

 東京ビッグサイトで開催されていた自転車の展示会に出向き、材料の仕入れ、組み立て作業、一時保管の倉庫、顧客への発送業務まで引き受けてくれる自転車メーカーにも出会えた。メーカーの協力もあって、まずは250台を納品することができた。そこから年間600台、3年ごとにモデルチェンジを繰り返し、都合5種類の自転車を作り続けた。

 この実績が評価され、キャピタルというアパレルブランドから、気持ちの晴れる、外出したくなるような車椅子がないから作ってほしいと声がかかった。同社はハンディキャップのある人のための洋服も作っていた。

 自然界に無駄はなく、機能がカタチになると谷さんは考える。たとえば、根から葉へと水を運ぶ植物の茎は、葉で作られたでんぷんなどの養分を体全体へ運ぶための通り道でもある。貝殻の螺旋にも意味がある。

 車椅子を1本のフレームから作れないだろうかと、思案しながらスケッチする。スケッチを描き終えて、これはできると確信した。強度計算をしてみると、メーカーのそれよりも、1本のフレームからできている谷さんの車椅子の方が優れていた。でも、完成品は5台しか売れなかった。

 機能と美しさを両立させたその車椅子はキャピタルの店舗に溶け込み過ぎて、店頭用のディスプレイだと勘違いされた。アパレルブランドが介護用品を販売する難しさもあったのだろう。この、普遍的でありたいと願う谷さんの思いが具現化された車椅子は、しばらく茅ヶ崎館に展示されていた。来館されたお客様が実際に使用することもあったという。

助走期間

 やがて、軌道に乗ったはずの仕事は少しずつ減っていった。これまでが奇跡的なだけだったのだと、消極的な気持ちに囚われてしまった。それでも、谷さんの作品をどこかで見かけた、評判を聞きつけた人たちから寄せられる依頼に対応した。

 実写版映画「魔女の宅急便」(2014年公開)では、プロデューサーから俳優の名前を聞かされただけで、キキやトンボなど主要人物たちが乗る自転車を作って納品した。デザインから製作まで丸投げだった。丸投げがよかった。

実写版映画「魔女の宅急便」(2014年公開)のデザイン及び製作をしている。このモチーフを「ふるカフェ系 ハルさんの休日」MOKICHI TRATTORIA の撮影用に小型版を製作した(2017年)

 焼き芋を販売するための自転車がほしいと依頼されて、前2輪の間に芋を焼く壺をのせた3輪車を作った。前2輪の並行を維持させる独自技術も開発した。薪を積みたい、芋も運びたい、と後からどんどん増えていく要望を叶えたら、リヤカーを接続した5輪車になった。ある時は、NHK「ふるカフェ系 ハルさんの休日」のディレクターから、熊澤酒造株式会社の撮影時に出演してほしい、駐車場で羽根の付いた自転車に乗ってほしい、と頼まれたこともあった。セリフもあったらしい。

 サンフランシスコにあるリーバイス本社へも、デニムをモチーフに製作した自転車を送った。運搬中に壊れてしまった変速機を修理するために現地まで赴いた。名所の坂道を懸命に漕いでいたら、アメリカ人から大きな声で応援されたのはよい思い出だ。同社のCEOに認められリーバイスで販売することが決まったのに、担当者の退職とともに立ち消えになってしまった。海外進出まであと一歩だった。

 スピッツの新曲プロモーションに自転車を使いたいと、レコード会社からオリジナル製作を依頼されたこともあった。

谷さんの最近と、これから

 もっと世に出ていてもおかしくない。谷さんを知る人たちはみな口にする。

 現在は、電動アシスト自転車の組み立て工場で働きながら、ハンドメイド自転車の製作を請け負い、自転車以外の創作にも取り組んでいる。

 スマートフォン専用の、電源を必要としない木製スピーカーからは、やわらかな音があたたかく響く。カルディコーヒーファームの商品を風のように訴求したいと考えて作った「風の塔」が、ワインボトルの重さでプロペラをゆっくりと回している。

 重たいものをゆっくりと回すのは、思いのほかむずかしかった。自転車で培った技術を応用、軸を小さくしてリムにベルトをかけた。遅いモーターをさらに減速させることで、「トルクが出て、かわいらしい見た目にもなったね」。

 谷さんが作るものは美しい。ヴィンテージのような雰囲気と、工学に基づいた機能性が共存している。デザインに無駄がなくて、それでいて遊び心がちゃんとある。最近、雄三通りにある吉田珈琲出張所の店先に、おしゃれな自転車が展示されているのを見かけた人もいるだろう。百聞は一見に如かず、谷さんの自転車をぜひ見てほしい。

 「がんばれって家族から言われたことが一度もないんだよね」と言って、はにかむ谷さん。「復活しますよ。スイッチが入ったかも」と少年のように笑った。

カメラ:位田明生 / ライター:小島秀人(株式会社カノア)

INFORMATION

谷信雪

TEL cycleboy.tani@gmail.com
URL instagram

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