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それでは、待ちに待ったLLA7を誌上レポートします!
1曲目「58cm」は、ファンとライブと自身との特別な関係を綴ったロックナンバー。ピアノによる軽快なイントロが流れると、奈落からセリあがってaikoが登場。熱狂のサザンビーチに、よくのびる高音が響いた。MCでは開口一番、「今日は絶対最後までやります。よろしくお願いします」と力強く約束。2曲目「ストロー」は、客席のひとりひとりに向かって「きみにいいことがあるように」と伝えながら、よろこびを全身で表現するaiko。夏に聴きたくなる「帽子と水着と水平線」、せつないアッパーチューンの「荒れた唇は恋を失くす」と続けて、会場を一気に盛りあげた。
「みんなの気合のおかげで雨が止まっていると思います。ほんまにみんなのおかげです。ありがとうございます!」と、花道で仰向けになりながら空へ向かって感情を爆発させた。感謝の言葉を口にするaikoは、すこし涙ぐんでいるようにも見えた。「Love Like Alohaは数日後に筋肉痛も襲ってくるライブなので、みんなで一緒に楽しいライブを作りましょう!」
ミディアムテンポ「相思相愛」と、アップテンポ「ハニーメモリー」の2曲をしっとり歌い終えると、会場の準備やステージの設営など、不安定な天候の中でさまざまな調整を行ってきたスタッフに労いの言葉をかけた。このLLAでは毎回、必ずサザンオールスターズや桑田佳祐さんの楽曲をカバー(※一覧表参照)してきたaiko。「6年ぶりのこの場所でのライブなのでめちゃくちゃうれしいです。桑田佳祐さんからお花いただきました」と明かして、「涙のキッス」のカバーからこの夜だけのメドレーをはじめる。
「アンドロメダ」「ボーイフレンド」「雲は白リンゴは赤」「あなたは優しい」「KissHug」「果てしない二人」「透明ドロップ」「milk」と、次々にバンドサウンド全開の楽曲を披露。新旧と硬軟、ステージと花道を自在に行き来する圧巻のメドレー。サザンオールスターズ「みんなのうた」のカバー、観客を一体にするロックンロール「be master of life」で特別なメドレーを締めた。
再び雨足が強くなってきました。
「あたしがしゃべっている間にカッパとか着てください。タオル巻いたりとか、そういう準備をよかったらしていただけると有難いです。『フリーエリアの一番後ろかな、自分は』という方、携帯のライトとかでピカピカってしてみてほしいです。うわー! すごい!ありがとうございます!」と呼びかけた。ニューアルバム収録のバラード「よるのうみ」、昨年リリースのアルバムに収録されている「アップルパイ」、最新の配信曲「skirt」、ロック色の強いライブ定番曲「愛の病」をずぶ濡れになりながら、身体の全部を使ってパフォーマンスしていく。
「こうやって、雨の中で、歌えることとかもうないと思って、前向きに歌っているんですけど、みなさんはだいじょうぶですか? 寒くなったり熱くなったり汗ばんだり大変、ごめんなさい。あたしにタオルをくれるんですか。やさしい。みんな、いい人しかいない」と、常に観客を気遣うaiko。「後ろー! もう一回照らして! …すごい」
雨雲に覆われた今夜の空には瞬かない星たちを地上へ集めて、aikoを包むように照らして、揺れながら灯る無数の光の海。感極まったaikoは、「カブトムシ」のサビをアカペラで独唱する。さらに、「照明を落としていただけますか」とスタッフに促して、「生涯 忘れる きれい(とつぶやく)ことはないでしょう」と、最後の4小節を歌いあげた。降りしきる雨の中、会場の熱気は最高潮に達した。
そこからは、人気曲「キラキラ」、「雨よ 止んで 止んで お願い」の歌詞に祈りを込めて「夏が帰る」を熱唱。おなじみ「男子—! 女子—!」と呼びかけるコール&レスポンスの後、「カブトムシ」のシーンが甦ってくる「星の降る日に」を軽快に歌いあげた。準備したセットリストはここまで。ところが、「本来はこの曲で終わりだったんですが、台風の事情で、いつも海の向こうから上げてる花火があげられなくなったんです。ところが〜、ということは〜、わたしが〜、最後に花火をあげま〜す!」と高らかに告げて、ラストに「花火」を披露。いつの間にか雨は止んでいた。
去り際に何度も感謝の意を伝えるaiko。終演のコール「それが〜!」と、レスポンス「ラ〜イブ!」を交わしてステージを降りた。茅ヶ崎のアーティストである尾崎紀世彦「また逢う日まで」を口ずさみながら…。
桑田佳祐さんがラジオで言及されました。
ライブ翌日の生放送「桑田佳祐のやさしい夜遊び」のラジオ番組内で桑田さんは、LLAの開催にふれました。フリーコンサートをやってくれること、毎年ではないけれど茅ヶ崎の夏の風物詩になっていること、それを茅ヶ崎の人たちが喜んでいることを紹介して、aikoの人柄を称えました。そして、aikoは大阪生まれで茅ヶ崎の人間です、と感謝の気持ちを表していました。