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R7 神輿大修復 南湖中町・八雲神社神輿
令和7年5月11日神輿修復お披露目渡御が行われました

「中町 八雲神社 神輿保存会」は今年で結成50年。お披露目渡御は天候にも恵まれ、地元南湖をはじめ市内外から多くの友好団体関係者が集まり、町内には威勢のよい鈴の音が鳴り響きました。
22年ぶりの修復を決断した経緯


編集部(以下編) 22年ぶりに神輿の修復を行った経緯などを教えてください。
八雲神社 神輿修復委員会(以下八)
神輿は15年から20年ごとの修復が望ましいと私たちは考えています。時期に差し掛かったので2023年に神社総代・自治会・神輿保存会の代表者で構成された「神輿修復委員会」を立ち上げました。限られた予算で効果的な修復を実現すべく協議を重ねました。前回の修復に携わったメンバーもいて、作業工程や費用の目安などが継承されていたことが大きな助けとなりました。修復は長い周期で行われるので、知識や経験を次の世代へ繋ぐという意味でも、このタイミングで決断しました。
八雲神社の神輿の特徴
編 神輿の特徴を教えてください。
八 彫刻は彫り師のこだわりを感じます。内部を彫り透かす籠彫り、表面を浮き立たせる浮き彫り、塊を削って立体的にする丸彫りなど、匠の技を駆使した多くの彫刻が施されています。扉部分の彫刻は東西南北で花の種類が異なっていたりと、じっくり見ていくと面白いですよ。ほとんどの彫刻には金箔が押されていて、金メッキされた飾り金具の数量は千を越えています。
今回の修復内容とこだわり、そして浜降祭後の手入れ
編 今回はどのような修復を行いましたか。
八 木地の補修、金具の調整と再メッキ、漆の塗り直し、そして金箔の貼り替えです。分解をともなうこの機会に、全体をオーバーホールしました。修復期間は、およそ10ヶ月にわたりました。
編 特にこだわった部分はありますか。
八 修復は前回と同じ、千葉県市川市の「中台製作所」お願いしたので、前回からの痛み具合も詳細に把握できました。例えば金具の金メッキは緑青対策で四層のメッキを施しました。耐食性や輝きなどそれぞれのメッキで効果が異なります。漆塗りもその種類や重ね塗りをする回数によって効果や耐久性が変わりますし、金箔も純金箔か洋金箔かによって、耐久性が大きく異なります。見た目も大切ですが、それ以上に耐久性は重要だと思います。
編 修復前の状態もとてもきれいです。
八 そこは神輿保存会がかなり力を入れて手入れをしています。浜降祭の後、特に注意しているのは、風通しと緑青対策です。金具の部分には、どうしても緑青がふいてきます。早めの手当が大切なので、緑青は綿棒や爪楊枝を使って削り取っています。
修復費用の奉賛活動
編修繕費用はどのように集めたのしょうか。
八 氏子の皆さまをはじめ、地域の方々や事業者の皆さまにご協力をお願いし、奉賛金という形で多くのご支援を賜りました。
編皆さんの理解を得るために、どのような方法をとられたのですか。
八 今回はじめての試みとして、神輿修復業者による説明会を開催しました。3回開催したのですが、なぜ修復が必要なのか、どのような修復をするのかなどが理解できたと好評でした。なお、修復委員会では「修復記念ビデオ」を制作し、奉賛金の御礼として配布する予定です。修復作業の様子や、神輿の由緒・特徴など、神輿に馴染みの薄い方々にも興味を持っていただければと思っています。
神輿のある地域社会
編「修復記念ビデオ」についてもう少し教えてください。
八 「中町 八雲神社 神輿保存会」は結成50年を迎えました。若い担い手も増えてきましたが、次回の修復までには長い時間が経過します。今回制作した「修復記念ビデオ」は、修復過程を詳細に記録しているため将来の貴重な指針になると思います。また、新たに会に加わる方々が神輿について深く学ぶための教材としても意義は大きいと考えます。
編皆さんが目指すところを教えてください。
八 災害の多い日本において、地域の絆は安全と安心の礎です。南湖地区では「制度」があり、地域の皆様が持ち回りで祭事の世話役を担うことで、自然と顔の見える関係が築かれています。いざという時に支えあえる地域であるために、神社や祭礼を通じて人と人とのつながりを育むこともひとつの方法です。
地域の宝である神輿を守り伝えることは、単に伝統を継承するだけでなく、地域社会の絆を強めることにもつながるのだとだと考えています。
「神輿担ぎ練習会」や「宵宮(よみや)」
八 浜降祭の1ヶ月ほど前から、毎週土曜日の18時に神社で担ぎ方の練習会を行っています。初めての方でも安心して参加できるよう、丁寧にサポートしています。また、浜降祭の前日の夕方に「宵宮」を行っています。模擬店や屋台も出ているので、ぜひ覗きにきてください。

pickup 神輿修復お披露目渡御 01
江戸屋 重田家

お披露目渡御で最初に訪れたのは、八雲神社とゆかりの深い「江戸屋 重田家」。「お神輿が来るのは、一大行事ですから名誉なことです」と重田誠さん。
南湖五社では、浜降祭の日の午後に「御幣(ごへい)参り」を行っています。起源は元禄15 (1702)年、鶴嶺八幡社の禊の渡御。南湖の若者が、鶴嶺八幡社の神輿を返さず浜之郷と南湖が争いになりました。その仲裁をしたのが、初代重田家の江戸屋八郎左衛門。鶴嶺八幡社に石垣や手洗石を奉納することで和解しました。重田家は屋敷神を天王山にあった現・八雲神社に移し、南湖に神輿を造ることに尽力しました。そのお礼参りを「御幣参り」と言います。
pickup 神輿修復お披露目渡御 02
鈴木孫七邸

中町神輿、過去の浜降祭



南湖中町・八雲神社の神輿
新造されたのは明治時代中期とされ、制作者は淘綾郡(ゆるぎぐん)現在の中郡二宮町の宮大工,杉崎英之助。鳳凰の制作者は、厚木町の工匠、鈴木定吉。
直近の修膳:22年前の平成15(2003)年