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R7 神輿大修復 新町・嚴島神社神輿

令和7年5月5日 例大祭で神輿修復お披露目渡御が行われました

15年ぶりに修復され、新たな装いも加わりました

編集部(以下編) 新町・嚴島神社の神輿について教えてください。 

新町嚴島神社役員会(以下新) 大正8年に地域の大工である真壁秀次郎さんが製作しました。

編 修復を行うきっかけを教えてください。 

新 浜降祭では海に入ったりするのでやはり傷みます。今回は傷んだ部分の修復はもちろんですが、現状の神輿に新たに装飾を施しました。

編 どのような修復や装飾をされたのでしょうか。

新 神輿の修復は、15年前にこの神輿を修復した千葉県我孫子市の「椎名匠店」にお願いしました。

(以下:神輿修復に携わった椎名さんに伺いました)

修復の現場より 15年ぶりの修復について

今回の修復では潮で傷んだ錺金具の金メッキ仕上げや、木地の漆塗替え及び金箔押し仕上げに加えて、斗組と軒裏(屋根の裏)の大修復を行いました。金メッキは潮のダメージを受けにくいよう保護塗膜には焼付塗装を施し、斗組は屋根の荷重に耐えられるよう、全体的に新規の部品と交換し、軒裏は板を張り替え垂木も全て新しいものに交換しました。

茅ヶ崎の神輿には「」という特徴があります。垂木の構造には主に「平行垂木」と「扇垂木」があります。平行垂木では全ての垂木が平行に配置されるのに対して扇垂木では垂木が放射状に配置されるため、垂木の長さと角度は一本毎に異なります。また垂木の断面も中心では長方形ですが、隅に向かって平行四辺形状に変化させております。そのため垂木鼻(垂木の先端)の錺金具も位置毎に違うものを取り付ける必要があり、平行垂木と比べると複雑な構造となりますが、扇垂木は屋根の広がりを感じられる優雅な意匠となっております。

鳳凰の中身(木材)は後方の腐食部分のみ新しい木材を継ぎ足して修復しました。くちばし部分「くわえ」は新規に製作しました。尾の先端はグリーンの板状のものが取り付けられていましたが、修復委員会の皆様の要望により翡翠色のビーズに変更しました。

斗組には尾垂木という部分に龍頭の彫刻が施されています。の彫刻は劣化したものは既存のものに合わせて造り直し、それ以外は補強のうえ再利用しております。

鳥居には神社名の入った「扁額」を取り付けました。

以上のように見た目の美しさと伝統の両立を意識して修復を行いまし

(有)椎名匠店:椎名 正夫 さんより

市内外からたくさんの友好団体が集まりました
茅ヶ崎駅の南側を渡御する神輿
茅ヶ崎駅北口付近

次の世代へ、例大祭は子供の日

編 嚴島神社の例大祭は子供の日でなんですね。

そうなんです。例大祭が子供の日というのもあって、毎年子供が参加できるイベントにしています。子供たちは「わっしょい、わっしょい!」って担ぐのが神輿だと思ってるので、茅ヶ崎の神輿は「どっこい、どっこい!」って言うんだよ、と発声練習から始めるんです。それが頭に残って大人になっても子供の頃に担いだことを覚えてるのだと思います。私たちはそういうことが次の世代に繋げていくっていうことなんだと考えています。

繁華街にある嚴島神社

茅ヶ崎駅周辺の新栄町、元町、共恵、幸町のあたりの地域はかつて新町という地名でした。嚴島神社の神輿には「新町」と記し今でも「新町 嚴島神社」となっています。神社はもともと今の茅ヶ崎駅北側のロータリーにあったんです。駅新設で今の場所に移転しました。大勢の人たちが集まりやすい中心市街地で商業ゾーンと住居系が混在しているのが特徴です。

編 浜降祭に向けて神輿担ぎの練習会などは開催していますか。

練習会は特にありません。ぶっつけ本番です。ぜひ担ぎに来てください!

櫻井貴基宮司と嚴島神社関係者の皆さん

新町神輿、過去の神輿写真
浜降祭  海に入った嚴島神社の神輿  (左)昭和54(1979)年 茅ヶ崎市蔵   
島神社の子供神輿(昭和初年頃):茅ヶ崎市関連の資料より 

新町・嚴島神社の神輿

大正8(1919)年7月13日。地域の大工である真壁秀次郎氏によって新造された。

直近の修膳:15年前の平成22(2010)年

新町 嚴島神社HP

茅ヶ崎 新町嚴島神社 instagram

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