NEW
BRANDINという海
市川友博

茅ヶ崎市富士見町の住宅街の一角に「Music Library & Café BRANDIN(以下、BRANDIN)」はある。店を営んでいるのは、音楽や地元・茅ヶ崎への深い造詣をもとにDJやラジオパーソナリティとしても幅広く活動されている宮治淳一さん(以下、宮治さん)、そして、店を切り盛りしている宮治ひろみさん(以下、ひろみさん)のお二人。
ミュージックラバーのお二人が営む店内には、溢れんばかりのレコード(1万枚は優に超えているとのこと)、そして、音楽を中心とした書籍が所狭しと並べられている。店内にあるレコードは、ひろみさんのつくるおいしい飲み物を味わいながら、自由に手にとって聴くことができる。また通常営業とは別に、不定期でDJイベントやライブも行われるなど、1999年の開店以来長きにわたって、BRANDINは音楽を愛する人々が集い憩う場となっている。
さてそんなBRANDINであるが、この文章では「音楽そのもの」ではなく「音楽を通したつながり、ひろくは、人が集いつながる場」という側面に注目してみたい。茅ヶ崎には個人が営むすてきな店が数多くあり、そこではその日の天気や体調の話から、趣味や仕事の話、ちょっとした人生相談などなど、店主やお客さんとのやわらかな交流がある。私もまたそうした交流に励まされ、支えられ、そして時に救われてきた。そこでここではBRANDINを一つの例として、「人が集いつながる場」についてすこし考えてみたい。
私とBRANDINの出会い
はじめてBRANDINを訪れたのは、大学院生だった2020年の終わり、コロナ禍真っ只中の年内最終営業日だった。14時過ぎに入店すると、店内はすでにたくさんの人であふれていた。席について飲み物を注文した後、ふと店内を眺めてみる。そこで印象的だったのは、店内を流れるレコードの音とともにあふれる笑い声や話し声だった。
その雰囲気に促されるように、近くに座っていたお客さんとの間に自然と会話が生まれた。私が手にしていた本を見て声をかけてくれたのだ。その時期私は、フランスの思想家・バタイユの本をひたすら読んでいた。そのお客さんは学生時代にフランス哲学を専門とされていた方で、バタイユのこともよく知っていた。バタイユを知っている方に出会い、そのおもしろさについて語り合う経験ははじめてだったので、とてもうれしかったことを覚えている。
飲み物をつくって提供しているひろみさんも、レコード棚の整理をしていた宮治さんも、満席の店内で急いでいる雰囲気はまったくなく、のんびりとお客さんとのおしゃべりを楽しんでいるように見えた。
不思議な感覚を覚えた。はじめて訪れた場所なのに、とても心が落ち着いた。コロナ禍で人と満足に話すことができない時期だったこともあいまって、のんびりしたつながりが心地のよいものに感じられたのかもしれない。けれどもそれ以上に、どこかその場に惹かれている私がいた。
年が明けてから、暇を見つけては平塚から原付を30分ほど飛ばしてBRANDINに通うようになった。自意識過剰であるのは自覚しているが、私は店の人に顔を覚えられるのが恥ずかしく、同じ店に何度も通うことができない性格である。けれどもBRANDINは、その恥ずかしさを感じながらもどうしても通いたくなる場所だった。
BRANDINに行くと大体いつも何かが起きた。何かを特別期待しているわけではないのに、時に想像を超える、音楽・本・人との新鮮な出会いがあった。私は不器用な人間だと思う。これを手放したら楽になるだろうと思うことも、どうしても手放すことができずに生きているところがある。けれどもBRANDINでは、そうやって不器用ながらも携えてきたものが思わぬ出会いのきっかけになることが何度もあった。それがうれしく、どこか救われる思いだった。
もちろん毎回出会いがあるわけではないし、交流がすべてではない。ひとりで静かに過ごして退店することもたくさんあった。おもしろいのは、そこに交流があろうとなかろうと、しばらく時間を過ごして外に出ると、心と身体がほぐれた私がそこにいることだった。
そしてこれは、私に限った話ではないと思う。形や感じ方はさまざまであると思うが、BRANDINという場に引き寄せられるように人が集い、出会い、つながり、広がっていく場面を私は幾度となく目にした。BRANDINという場を愛してやまない方々にもたくさん出会った。
するうちに、大学院生だった私は、このBRANDINという場について研究したいと思うようになった。「どうしてこの場にはこうした会話とつながりが生まれるのか。そして、身を浸していると心が落ち着くのか。」内から湧き上がるこうした疑問について考えてみたいと思うようになった。そうしてある日、勇気を出してひろみさんに、「BRANDINにおける会話とつながりに焦点をあてて修士論文を書いてみたい」という思いを伝えてみた。ありがたいことにひろみさんはその姿勢に興味をもってくださり、研究を行う許可をいただけた。そしてその日から、これまで以上にBRANDINに通い、場に生じていることをノートに記録したり、ひろみさんや宮治さん、そしてお客さんへのインタビューを行う日々がはじまった。
BRANDINにおける会話とつながり
つながりが生まれるには、まずそのきっかけとなる会話が重要である。では、会話はどのように生じるのか。
個人店においては、店主のパーソナリティや姿勢が場の雰囲気を形成することが多い。BRANDINにおいては、ひろみさんの言葉に「話している内容だったり雰囲気だったりを見聞きするなかで、ああ、この人とこの人がつながったら面白いなあ、とか考える」とあるように、つながることをおもしろがる店主の存在がまずある。
同時にお客さん側も、「一人でいたら無いものがある。音楽にしても。人と接する機会にしても。」「家で一人で音楽を聴いているときは、どうしてもお気に入りの曲ばかり聴いてしまうけど、ここで他の人が流す音楽を聴くことで、新しい発見があって、そのことも含めてお話するのがおもしろい。」と語るように、交流を楽しみにしている様子がうかがえる。この双方のおもいが会話を生み、つながりを促進しているのである。
では、そうして生まれたつながりはどのように広がり、また、深まっていくのだろうか。
BRANDINという場は、そこに引き寄せられた人々で構成されているが、そのつながりは決して固定化されているものではなく、常にひらかれている。このことは、ひろみさんの「人に平等に接する。常連の人も、初めての人も。これはすごい意識している」という言葉や、あるお客さんの「常連ばかりでは、初めての人は居心地の悪さを感じてしまう。ひろみさんたちだけではなく、僕たちもこの場を作り上げている一人なんだ、他のお客さんの気持ちも常に考えていないとね」という言葉からもうかがうことができる。「私とBRANDINの出会い」に書いたように、BRANDINにいるお客さんははじめて訪れた私に対しても、壁を設けることなく、興味をもって話をしてくれた。あたらしい出会いをおもしろがる雰囲気がBRANDINには流れていて、そうした雰囲気がはじめて訪れる人のみならず、ずっと通い続ける人をも魅了する要因の一つになっていると私は思う。
こうした場のあり方は、劇作家・平田オリザのいう「セミパブリックな空間」、つまり、「あるつながりをもった集団があっても、その関係は固定化せず流動的で、出入り自由である空間」と重なる。平田はこうした空間こそ、「人と人が出会って、話して、しかもその話が面白くなる場所」としているが、まさにBRANDINは、その具体的なかたちを示しているといえるだろう。
店主とお客さん双方からの、会話やつながりをおもしろがる姿勢。そして、つながりを大切にしながらも関係を固定化せず常にひらいていく姿勢。こうした姿勢がBRANDINという場に常に新しい流れを生み、人を呼びこみ、「芯がありながらもやわらかい」BRANDIN独自の魅力を放ちつづけているのだと私は思う。
「大海は芥を択ばず」
些細なことにはとらわれずに、受け身をとりながら、おおらかであること。ただその中に通奏低音のように流れる凛とした雰囲気。その「芯がありながらもやわらかい」姿勢がどこか格好いいのだ。BRANDINに通うようになって数年が経ったけれども、今もこの感覚は変わらない。
今日もまた、ふらりと訪れてはその扉をひらく。潮の流れに導かれるようにして。
参考文献 :平田オリザ(1998)演劇入門
講談社(講談社現代新書)
市川友博 Tomohiro Ichikawa
1997年茅ヶ崎生まれ、平塚育ち。編集者。好きな風景は、茅ヶ崎から平塚への車窓から見える西日の差し込んだ相模川。