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西久保・日吉神社神輿
神輿50周年記念式典および神輿渡御が5月16・17日と2日に渡り執り行われました



神輿50周年を祝い、「化粧綱」と「記念半纏」を新調
昭和51(1976)年に新調された西久保の日吉神社神輿が、今年で50周年という節目を迎えました。これを記念し、記念式典と神輿渡御が執り行われました。
50周年記念事業として、新たに化粧綱を新調。色は、総本宮である 日吉大社 の化粧綱にならって決定され、節目にふさわしい重厚感のある仕様となっています。
また、あわせて「50周年年記念半纏」も新調されました。今後は従来の白半纏と併用しながら使用され、祭礼の場を彩っていきます。





西久保 日吉神社「神輿50周年実行委員会」の設立
神輿50周年記念事業に向けた構想は約5年前から始まり、2年前に「神輿50周年記念事業実行委員会」が設立されたことで、本格的な準備が進められました。
実行委員会には、日吉神社の宮世話人や神輿世話人会に加え、自治会関係団体や地域住民有志も参加。地域全体で支える体制が整えられ、節目の事業に向けて歩みを進めてきました。
日吉神社の運営は、責任役員、総代、宮世話人、神輿世話人会を中心に構成されており、運営協力者を含めると約60名規模になります。それぞれが役割を分担しながら、浜降祭や山王祭(日吉神社の例大祭の総称)、新嘗祭、元旦祭など、地域に根差した祭礼を支えています。
こうした日頃からの連携と積み重ねがあるからこそ、大規模な記念事業においても、地域一丸となった機動的な運営が実現されています。
地域に支えられた奉賛金
神輿50周年記念事業の催行に向け、地域ぐるみで奉賛金集めが進められました。自治会の回覧板やポスターを通じて広く周知が行われたほか、これまで継続して奉賛を寄せてきた崇敬者へは、封書による個別依頼も実施されています。
奉賛金は持参や銀行振込に加え、希望者には訪問による集金にも対応し、地域の方々が協力しやすい体制が整えられました。
受付は直近半年ほどの期間に集中的に行われ、多くの地域住民の支えによって、50周年記念事業を無事に催行できる奉賛金が奉納されました。
また、奉賛者の名前を記した「芳名板」も制作。1年間は 日吉神社 境内に掲示された後、神輿殿内に大切に保管・掲示され、地域の支えの記録として次代へ受け継がれていきます。
神輿50周年の特別な渡御ルート
今回の記念渡御では、奉賛金への感謝の思いも込められ、「山王祭」の巡行ルートをベースに、通常より広範囲を巡る特別な渡御が執り行われました。
当日は朝7時から地域を練り歩き、神輿50周年という節目を祝いながら、地域に受け継がれてきた祭礼文化を次世代へつないでいく一日となりました。
重さがある西久保の神輿。担ぎ手の確保と対策

日吉神社の神輿は、茅ヶ崎でも最大級の重さを誇り、氏子だけで担ぎ切ることはできません。そのため浜降祭では、約30団体もの応援団体が参加し、東京や栃木など遠方からも多くの担ぎ手が集まります。こうした広域ネットワークは、前会長らが約10年かけて築きあげてきました。各地の祭礼へ足を運び、実際の活動や安全面、地域との相性を確認しながら、少しずつ信頼関係を広げてきたといいます。
神輿渡御を支える「日吉神社神輿世話人会」も今年で50周年を迎えます。現在は30名で構成され、祭礼時には神輿渡御の運営や担ぎ手の確保を担うなど、地域の祭礼を支える中心的な役割を果たしています。
一方で、担ぎ手不足は今後の大きな課題です。特に、若い世代や新築住宅へ移り住んできた新住民を、どう祭りへ巻き込んでいくかが議論されています。
その取り組みの一つとして始まったのが、インスタグラムの活用です。2024年7月から投稿を本格化し、リール動画が1カ月で18万回以上再生されるなど、大きな反響を集めました。祭りの迫力や地域の空気感をSNSで発信することで、新たな世代との接点づくりが進められています。
また、神輿の存在や祭りの魅力をより多くの人に知ってもらうため、これまで巡行していなかった新しい住宅地を渡御ルートへ加える案も検討されています。地域の変化に合わせながら、次の世代へ祭礼文化をつないでいこうとする取り組みが続けられています。


西久保・日吉神社神輿
昭和51(1976)年創建。西久保地域ではもとは鶴嶺八幡宮の神輿を担いでいたこともあり、囲い垣の下部に入った彫刻や、欄干が二段の階段状になった装飾性の高い二重勾欄(こうらん)などの特徴は鶴嶺の神輿を模した。蕨手に龍がついているのも珍しい。大きく重いため担ぎ棒も長い。担ぎ棒の間隔も広いため中担ぎでは手が届かない。
INFORMATION
| URL | instagram:西久保日吉神社神輿世話人会 |
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