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チガサキゴトよ、チーガ

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チガサキゴトよ、チーガ

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宮治淳一のワンス・アポン・ア・タイム・イン・チガサキ

其の七

今はなき「青少年会館」のあれこれと
「湘南ロックンロール・センター」の幕開け

 昭和40年代茅ヶ崎の南側に住む子供たちの遊び場は近所の原っぱか、中海岸の茅ヶ崎公園だった。

 野球場は中学生以上が使っていて小学生は奥の青少年会館横の空き地で三角ベースで遊んだ。土曜日などは野球場近くの友達に真っ先に場所を確保してもらっていた。

 私は大学受験を失敗し中学生以降疎遠になっていた青少年会館の読書室で受験勉強をしていたおかげか、無事浪人生活におさらばができた。一階の食堂のうどんには大変お世話になった。 そこに待ってましたとばかり一足先に大学生になっていた桑田佳祐君がやってきた。

 彼とは茅ヶ崎一中野球部でいっしょに汗を流した仲で茅ヶ崎球場でもよく試合をやった。その彼がみんなで集まってコンサートをやろうというのだ。

 なんと! すでに場所は押さえているという手回しの良さ。よほど茅ヶ崎でバンドをやりたかったのだろう。その会場は青少年会館二階の多目的ルーム。1ヶ月前まで私が受験勉強をしていた部屋の隣なのだ。

 1975年3月25日火曜日の午後、もてる楽器、アンプを運び込んで、練習もそこそこに音を出した。人に聞かせられる代物ではなかったがそれはそれは楽しい体験で、今思えばこのことはのちに桑田君たちと始める地元の音楽親睦団体「湘南ロックンロール・センター」の予告編のようなものだった。

 茅ヶ崎公園の入口には地上より一段掘れている平面に素敵なテニス・コートが4面あった。現在そこは「うみかぜテラス」という青少年会館の後継が建っている。

 2015年青少年会館は取り壊されそこにテニス・コートが移転してきた。次々と開発の名の下に思い出の建物が消えていく。

Once upon a time in BGM
〜1975年、青少年会館が建っていたころ聞こえてきた洋楽〜


宮治淳一  Jyunichi Miyaji

1955年茅ヶ崎市生まれ。ラジオDJ、音楽プロデューサー。現在ワーナーミュージック・ジャパンで洋楽編成を担当。「ミュージック・ライブラリー&カフェ ブランディン」を経営する傍ら、ラジオ日本「宮治淳一のラジオ名盤アワー」( 毎週日曜 17:55〜 18:55)、湘南マジックウェイブ「宮治淳一のアワ・ヒット・パレード(土曜 13:00〜14:00)のラジオDJを担当。サザンの名付け親。「ミュージックシティ・茅ヶ崎」を構想中…。

『茅ヶ崎物語〜MY LITTLE HOMETOWN〜』
(ライブ・ビューイング・ジャパン)書籍
『MY LITTLE HOMETOWN 茅ヶ崎音楽物語』(ポプラ社)

DVD
『茅ヶ崎物語〜MY LITTLE HOMETOWN〜』
(ライブ・ビューイング・ジャパン)

BRANDIN(ブランディン)
宮治夫妻が1999年にオープンしたミュージック・ライブラリー&カフェ。コーヒーを楽しみながら60〜70年代のポップ・ロックを中心としたアナログLP約1万枚を自由に聴くことができるほか、いまとなっては希少なジュークボックスでの音楽再生も可能。 

富士見町1-2
☎️0467-85-3818
水、木休  13:00〜18:00 (不定休あり)
http://brandin.cafe/


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