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チガサキゴトよ、チーガ

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ずっと茅ヶ崎で暮らしたい

町内で見つけた
昭和のレジェンド

 今号のチーガの特集テーマは50年以上にわたり地元で愛され親しまれてきた昭和のお店を紹介した。

 取材中は懐かしさが込み上げる一方で、かつての風景や店々が一つまた一つと失われていく時代の寂寥も感じた。

 寂しがってみても、移ろい変わりゆくものはとどめようがない。でもだからこそ、古くからあるもの、変わらない店構えや街並みを見ると、人はつかの間癒され、ホッとするのかもしれないとも思う。

 じつをいうと、うちのそばにも一軒ある。懐かしい昭和の香りが漂うザ・レジェンド。おそらく子供時代多くの人がお世話になったであろう「まちの駄菓子屋さん」である。

 正直、この店のことはよく知らなかった。学童で、あるいはPTAのお母さんたちの集まりで、しばしばその名を聞いたことはあったが、当時はほとんど気にも止めなかった。その存在を改めて意識したのはごく最近、買い物帰りの道すがら、その店先で楽しげに集う中学生や小学生の姿をふと目にしたことがきっかけだった。

 かつて自分もこんなふうに、何人かで集まってお菓子を食べたり喋ったりして、下校後の一時を過ごしたことがあったっけ。あれは駄菓子、日用雑貨、文房具…そういうものが所狭しと並んだ商店で、いわば店先は子供だけの交流の場だった。同級生も年下の子も年上の子もいて、名前もわからないけれど一緒に遊んで。店主はたぶん、そんな子供らをさりげなく見守るお目付役。何くれと世話を焼くわけではないが、親にとってそこは安心して子供を放っておける第三の場だったに違いない。

 思えば自分が小学生の頃は、コンビニはもちろんスーパーもなかった。4階建ての社宅が何棟か立ち並ぶその一角に小さな商店街があり、そこに八百屋、魚屋、花屋、乾物屋、雑貨屋などがずらっと並び、みなそこで日々の買い物をしていた。自分たちがたむろしていた店も、おそらくこの商店街の片隅にあったに違いない。その後中学校に上がると同時に郊外に引っ越し、この商店街も社宅も今はもう跡形もないが、あののどかな暮らしはいまだに忘れられない。 大人も子供もゆったりして、店先で喋ったりたむろする心の余裕があって。

 今はもうそういう場はないだろうと思っていたが、ここにあった。こんな近くにひっそり残っていた。懐かしさで思わず店に入ると、かつてよく食べた駄菓子がずらり。タバコ、シャンプーリンス、洗剤、竹箒などの日用品も置いてある。話しかけずにいられなくなり、懐かしいですね、子供たちがいつも集まってていい場所です、というと、店主さんは笑いながらこう言った。

「昔はお米とか食品とか、もっといろいろ置いてたんですけどね。今は自分の趣味で、駄菓子なんかを仕入れてます。(子供たちが)いつも騒がしくしちゃって、スミマセン」。

 ああこの感じ。子供をさりげなく見てくれているこの感じ。こういうひだまりのような場を何とか残していくことはできないものだろうか。

 なーんて感慨に耽りながら店を見回すと、なぜか店内の棚に非売品のスポーツカーのフィギュアと、壁には使い込まれたサーフボード。

「車は私の趣味。本物は高くて買えないから(笑)。サーフボードは息子夫婦が使ってるものなんですよ」

 湘南らしさも垣間見える、古き良き我が町内のレジェンドよ。どうか末長く、いついつまでも。


藤原千尋
ふじわらちひろ/1967年東京生まれ、2006年より茅ヶ崎市松が丘在住/出版社勤務を経て単行本ライター。ビジネス、教育、社会貢献、生き方老い方など幅広いジャンルの企画とライティングを手がける。

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