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ずっとこのまちで暮らしたい
お帰りなさい、夏の神輿、夏の祭典
我らが祭りが帰ってくる。40基近い神輿が暁の海へと向かう浜降祭。4年ぶりの開催は例年通り、7月第三月曜海の日とのこと。少し気が早いけれど、久方ぶりということもあって、今から楽しみという人も多いのではないだろうか。
浜降祭について改めて振り返っておこう。浜降祭は、湘南地方を代表する夏の祭典。本格的な夏の訪れを告げる祭りとして、地元の人々に愛され親しまれ続けてきた。全国でもこれほど多くの神輿が集まる祭りは珍しく、神奈川県無形民俗文化財に指定されている。
この祭りの見どころは、寒川神社をはじめ寒川町と茅ヶ崎市の各神社から集まるさまざまな神輿と、一堂に会した御輿が南湖の浜を練り歩くその勇姿…と言われているが、個人的には祭りそのものもさることながら、祭りの前の空気が好き。厳かというか、神秘的な何かに魅了されるとでもいうか。
まずは祭りの数日前。神輿が巡行する町内のあちこちに縄が張られ、紙垂がぶら下がる。紙垂は雷光や稲妻をイメージしたもので、邪悪なものを追い払う意味があるらしい。紙垂によって邪気を払い、神様をお乗せした神輿の通り道を浄化する。これは浜降祭に限らず神事の前にはどこでも行われることだが、いっとき街全体が異世界になるようで、ワクワクせずにはいられない。
そしてもう一つは、祭り前夜。これがまたなんとも不可思議で神秘的。蒸し暑い夜陰の中、いつしかこの世がこの世ならざるものに満たされていく…とでもいうか。
なんでこんな不思議チャンなことをいうのかというと、見たから、というか感じたから。コワい意味ではない。「そういうもの」をそこはかとなく体感したのである。
じつをいうと、茅ヶ崎に住んで何年も浜降祭を見たことがなかった。早朝だから(起きられない)という理由で先延ばししてしまってきたのだが、ある時親しい知人が茅ヶ崎に引っ越してきたのをきっかけに、浜降祭を見に行こうということになった。ちょうど知人が居を構えたマンションが神輿の通り道沿いだったこともあり、知人宅に宿泊し、早朝海に行くことにした。で、深夜2時頃に及び、そろそろ寝ようかとなったときである。
カーンと拍子木を打つ音が聞こえてきた。表を見ると、ぼうっとした灯りとともに道を人が歩いている。何か言っているようにも聞こえる。知人といよいよ始まったのかねと様子を見守っているうち、何か奇妙な感覚に包まれた。現代の街、見慣れた住宅街のはずなのに、異界というか幽玄というか、見知らぬ世界に入り込んでしまったかのような。知人は「千と千尋の神隠しの世界だね」と言っていたが、まさにそう、なんかあっち側への通路を見たかのような、そんな感じ。
我々はその後少し寝て、暁の海へと向かったが、そこはもう慣れ親しんだ海だった。老若男女がわっしょいわっしょい神輿を担ぎ、人々が楽しげにその周りを囲み、露店の食べ物の美味しい匂いが立ち込める普段の祭りだった。
あれは一体なんだったんだろう。滅多に経験することのない感覚に思えるが、あれが神事というものの本質かもしれないとも思う。コロナという災厄を退け、どうか末長く人間界を守りたまえ。今年はそんな願いを込めて、待ちわびた祝祭を迎えたいと思う。
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藤原千尋
ふじわらちひろ/1967年東京生まれ、2006年より茅ヶ崎市松が丘在住/出版社勤務を経て単行本ライター。ビジネス、教育、社会貢献、生き方老い方など幅広いジャンルの企画とライティングを手がける。