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ずっと茅ヶ崎で暮らしたい
椿の園、終わらない庭

「推し」は椿です。華やかで可憐で、白とか赤とかピンクとか八重とか、種類が多いところも好きです。そういえば、これから椿の季節ですよね。茅ヶ崎の氷室椿庭園、行ったことありますか?
先々号でご紹介したイラストレーター・鈴野麻衣さんの言葉に後押しされて、取材後フラッと、氷室椿庭園を訪ねてみた。11月半ばすぎのことである。
もちろん、見頃にはまだ早い。椿によく似た山茶花と、すでに咲いた椿が1、2種類あるだけで、園内に花の姿はほとんどない。主役のいない庭は寂しいといえば寂しいが、椿と松を含む1300本あまりの庭木がひしめく園内は、やや鬱蒼として賑やかでもある。本号が出る今時分は、艶やかな椿の花がその美しさを競い合い始めているかもしれない。
念のため説明すると、氷室椿庭園は東海岸南にある広さ2800平方メートルほどの椿の庭。もともと三井不動産の副社長・氷室捷爾さん・花子さんご夫妻の所有だったが、その後ご遺族により茅ヶ崎市へ寄贈され、平成3年10月に氷室椿庭園として開園したという。
私が訪れた時期は見頃にはまだ早いと言ったが、咲き終えた赤い花がぼそっと落ちているものもあった。椿は花びらが散らず、咲いたままの花が斬首のように地面に落ちる。これを見て、ふと思い出したことが一つ。『終わらない庭』と題された、京都仙洞御所について述べた三島由紀夫の随筆である。
三島は作品の中で、その御庭がいかに素晴らしいか、彼らしい丹念な筆致で詳細にレポートしているのだが、何より興味深かったのは、西洋の庭は「空間を支配すること」に主眼が置かれているのに対し、日本の庭は「時間的要素」が取り入れられた、いわば果てしのない、終わらない庭である、という指摘である。
そして、三島は仙洞御所の美しさを讃えつつ、その庭が自分の所有物ではないことを喜び、「所有することは不幸で味気ないことだ」と言い切って見せる。所有を前提とし、他人に蹂躙された庭は公園であって庭ではない。理想的な庭とは「不断に遁走してゆく庭」であり、人の所有をすり抜けて、蝶のように飛び去っていくような庭。御所の焼亡により所有者が姿を消した仙洞御所の庭園は、まさに終わらない庭、理想的な庭だと三島由紀夫はいうのである。
ということは、ひょっとすると、この氷室椿庭園も「終わらない庭」なのではないか。もはや誰かの所有物ではなく、さりとて人々がガヤガヤ足を踏み入れる万人の庭というわけでもない。庭師さんによって手入れはされているけれど、過剰な装飾によって見せ物にされるような類の庭では決してない。花の季節にだけひっそり人々を楽しませ、人々に愛でられるこの椿の園もまた、蝶のようにやって来て飛び去っていく理想の庭、と言えまいか。主役不在の氷室椿庭園を歩きながら、ふとそんな気にさせられた。
ところで、三島は随筆の最後でこう述べている。円熟した立派な作品を書き続ける作家は、いわば仙洞御所の御庭、名園である。だが自分はそういう作家の作品は読まないし、生きている間は千古の名園のような作家になりたいとは望まない、と。
不断に遁走する庭を理想としたように、あなた自身もまた遁走を理想としたの? と、首から落ちた赤い椿を見ながら、園内でしばしそんな感傷に浸ったのでした。
参考図書『終わらない庭』(淡交社)
藤原千尋
ふじわらちひろ/1967年東京生まれ、2006年より茅ヶ崎市松が丘在住/出版社勤務を経て単行本ライター。ビジネス、教育、社会貢献、生き方老い方など幅広いジャンルの企画とライティングを手がける。