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チガサキゴトよ、チーガ

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ずっと茅ヶ崎で暮らしたい

茅ヶ崎海岸と小津映画

 かつての茅ヶ崎海岸はまるで砂丘のように広々としていた……という事実を教えてくれたのは、小津安二郎の映画だった(最近加入した動画配信サイトで久々に視聴)。

 例えば『長屋紳士録』。作品の舞台は戦後間もない東京下町の長屋だが、ここに連れてこられた迷子の男の子の親を探して、住人である荒物屋のおばさんがはるばる茅ヶ崎まで足を運ぶというシーンがある。

 当時の茅ヶ崎は寂れた漁村。海岸のそばには古い木造家屋以外何もなく、広くなだらかな砂浜が延々続くだけ。結局男の子の引き取り手は見つからず、面倒臭くなったおばさんは男の子を浜辺に残して帰ろうとするが、男の子はおばさんの後を必死に追いかける。おばさんが怖い顔で「しっしっ」と追っ払っても、男の子は子犬のように、ひたすらおばさんについていく。

 いたいけな子供をこんなだだっ広い海岸に置き去りにするなんて、おばさんヒドイ、せめて警察に連れて行ってあげてよと思うけれど、当時はこの程度のこと、よくあることだったのかもしれない。

 一方『晩春』という作品にも、茅ヶ崎海岸が登場する。原節子演じる主人公の紀子が、父親の部下の男性と茅ヶ崎近辺と思しき海岸道路をサイクリングするのだが、これまた全然人気がない。英字で書かれた看板や標識らしきものが映るけれど、民家も電線もまったく見えない。江ノ島や烏帽子岩がなかったら、どこの田舎の海なのだろうと思ってしまうが、車もほとんど走らない湘南道路を自転車で駆け抜けるって、さぞかし気持ちいいに違いない。

 それにしても、改めて小津作品を見て驚いたことがある。巨匠の作品に対して失礼極まりないかもしれないが、すごく「面白い」のである。

 私が最初に小津作品を見たのは二十代の頃。その時の印象は、ハッキリ言ってタルかった。展開もセリフ回しも凡庸に思えて、これがなぜ名作なのかまるでわからなかった。

 ところが、今回はタルいどころじゃなかった。作品に流れるそこはかとない「不穏な何か」にグイグイ引き寄せられて、最後まで目が離せなかった。

 例えば、主人公の紀子の、愛してやまない父親(寡夫)が再婚すると聞かされた時の、あの顔。健気で愛らしい表情が一変し、ゾッとするような般若の形相を剥き出しにする。そして父の勧めに従い自らも結婚話を進めながら、いざ結婚の日が近づくと「私は結婚したくない。お父さんと一緒にいたい」と父に迫る。しかもあろうことか、「お父さんは再婚していい。私はお父さんのそばにいられるだけでいい。私、お父さんが好きなの」と、愛の告白(!)のようなセリフまで口にしてしまうのだ。

 小津映画というと、ローアングルなど撮影上のこだわりがよく言われるが、それより何より、こんな危うい親子関係を描き出す感性のほうが衝撃ではないか。「ファザコン」の一言では片づけられない、父娘の情愛、嫉妬、悲しみ。一見穏やかながら、小津作品にはく言いがたい激しい何かが隠されていると、この年になってようやく思い至ったのだ。

 ちなみに、作品のラストは海。娘が嫁ぎ、一人ぼっちになった父の寂寥を表すかのような夜の波打ち際。これも茅ヶ崎の海で撮影されたと聞くが、こうしてみるにつけ、茅ヶ崎の海は巨匠の作品に少なからずインスピレーションを与えていたのではと、そう思わずにはいられない。

※  6月13日(日)「茅ヶ崎館」にて小津安二郎監督の「東京物語」が上映されます。詳細は「茅ヶ崎映画祭」サイト


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