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チガサキゴトよ、チーガ

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きくちちき《もみじのてがみ》 2018年 ©︎きくちちき【金牌】

絵本に閉じ込められた「原画」の力 

 1年ほど前、ある仕事で絵本作家のやべみつのり先生のお話を聞く機会があった(やべ先生は『大家さんと僕』の作者でお笑いコンビ「カラテカ」の矢部太郎さんのお父上)。

 矢部先生は、途上国の絵本や紙芝居作りに長年尽力された。その経験からこんなことを語っていた。「子どもの想像力はすごい。どんな過酷な状況でも絵本や紙芝居を楽しみ、並ならぬ想像力を働かせ、生きる力にしてしまう」と。

 これは見方を変えると、絵本には子どもの想像力を養う力があり、子どもの生きる力を育むエネルギーに満ちているということだ。最近、このことを改めて痛感した。茅ヶ崎市美術館で見た「ブラチスラバ世界絵本原画展」がきっかけだった。

 「ブラチスラバ世界絵本原画展」はスロバキアの首都ブラチスラバで開催される世界最大規模の絵本原画コンクールだ。今回の展覧会では、2019年の受賞作品がパネル展示で紹介されると共に、開催国スロバキアと隣国チェコの作家の原画が展示されている。手始めにまずチェコとスロバキアの作家の原画を見たのだが、この見応えが半端なかった。 原画の持つエネルギーに吸い寄せられるように、一心不乱に見入ってしまった。絵本というものに対する認識が変わったと言ってもいいかもしれない。

 絵本の原画には、今にも飛び出してきそうなイキの良さがある。臨場感がある。だが、ひとたび本に印刷されると、この勢いは削がれてしまう。複雑な色合いが単純化され、細やかな陰影が消えてしまう。もちろん原画のクオリティに近づけるべく手は尽くされるが、残念ながら原画には及ばない。何も本に印刷された絵がダメで、原画が優れていると優劣をつけたいのではない。絵本というものは単なる「絵の描かれた本」ではなく、「絵(原画)というエネルギーを本の中に閉じ込めたものなのだ」とはたと気づいたのである。

 私はこれまで絵本というのは「絵の描かれた本」だと思っていた。いわば「本が主で、絵が従」。絵本では絵が重要であることはもちろんわかっていたが、心のどこかで絵というものの存在感を軽く見ていた気がする。絵があって、言葉があって、ストーリーがあって。要するに、絵は絵本を形作る構成要素の一つと捉えていたのだ。

 だが、展示された原画を見て考えが変わった。絵本の絵は、本来その何十倍もの底力を秘めている。その底力が物語を生み、絵本というパッケージを成り立たせる。子どもたちに生きる力を与えるほどの想像力は、ほかでもない原画にみなぎるエネルギーあればこそ可能なのである。

 展覧会図録の中で、足利市立美術館の山下彩華 学芸員はこう語っている。イラストレーションの語源はラテン語で「照らす、明るくする」であり、絵本におけるイラストレーションはテキストに書かれた世界を照らし出すだけでなく、目に見えない感情や観念をイメージとして立ち上げる一つのメディアといえる、と。

 イラストレーション=絵本の絵は、心もとないこの世界を照らし出し、人々に遍く想像力を、生きる力を与えてくれるもの。今それを必要としているのは、子どもよりむしろ大人のほうかもしれない。

★ ブラチスラバ世界絵本原画展は茅ヶ崎市美術館にて11月7日(日) まで開催。

★ 参考図書:展覧会図録『ブラチスラバ世界  絵本原画展こんにちは(Ahoj)!チェコとスロバキアの新しい絵本』


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