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チガサキゴトよ、チーガ

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チガサキゴトよ、チーガ

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宮治淳一のワンス・アポン・ア・タイム・イン・チガサキ

其の八

湘南のランド・マークとして華やかだった
今はなき「パシフィック・パーク」

 断捨離をしていたら面白いものを発見した。それは昭和40年10月茅ヶ崎一中の体育祭の白黒写真なのだが、注目すべきはその背景に建設中のホテル・パシフィック・パークが映っていることだ。完成間近の様子が見て取れる。

 このホテルは昭和40年代茅ヶ崎市のシンボルとして知らない市民はいないほど目立っていた。湘南遊歩道(国道134号線)沿い一中通りとラチエン通りの間に握り拳のような異形の白い建物が不気味な姿をさらけ出していた。

 ボーリング場やスキーリゾートなどを手広く経営していた実業家、加山雄三の母小桜葉子の実弟岩倉具憲が建てた海辺のリゾート・テーマ・パーク

は茅ヶ崎というより湘南のランド・マークだった。

 ラスベガスのホテルに習い何から何まで高級だったため地元の人間はせいぜいボーリング場かプールに行くのが精一杯。中華料理「一閣」が出すラーメンは600円。今の価格で5,000円もした。

 東京のファッション業界、マスコミ、芸能界の自称イケてる輩は六本木の夜を満喫したあと、気に入った女の子を伴って開通したばかりの日本初片側3車線高速道路「第三京浜」をすっ飛ばして海辺の「パーク」にやってきた。

 そこでは加山雄三の妹亮子が香港のクラブでスカウトしたフィリッピン・バンド、デ・スーナーズが深夜までご機嫌な演奏を繰り広げていた。そこは東京から見て “The nearest far away place” – 「最も近い遠いところ」だったのだ。

 「パーク」は高級志向と放漫経営がたたり昭和45年あえなく倒産。現在は整地され高級マンション「パシフィックガーデン」になっている。取り壊されて早25年。

 それでもサーフィン・スポットの名称として「パーク」は健在と聞く。

Once upon a time in BGM
〜パシフィック・パークといえばこの曲〜


宮治淳一  Jyunichi Miyaji

1955年茅ヶ崎市生まれ。ラジオDJ、音楽プロデューサー。現在ワーナーミュージック・ジャパンで洋楽編成を担当。「ミュージック・ライブラリー&カフェ ブランディン」を経営する傍ら、ラジオ日本「宮治淳一のラジオ名盤アワー」( 毎週日曜 17:55〜 18:55)、湘南マジックウェイブ「宮治淳一のアワ・ヒット・パレード(土曜 13:00〜14:00)のラジオDJを担当。サザンの名付け親。「ミュージックシティ・茅ヶ崎」を構想中…。

『茅ヶ崎物語〜MY LITTLE HOMETOWN〜』
(ライブ・ビューイング・ジャパン)書籍
『MY LITTLE HOMETOWN 茅ヶ崎音楽物語』(ポプラ社)

DVD
『茅ヶ崎物語〜MY LITTLE HOMETOWN〜』
(ライブ・ビューイング・ジャパン)

BRANDIN(ブランディン)
宮治夫妻が1999年にオープンしたミュージック・ライブラリー&カフェ。コーヒーを楽しみながら60〜70年代のポップ・ロックを中心としたアナログLP約1万枚を自由に聴くことができるほか、いまとなっては希少なジュークボックスでの音楽再生も可能。 

富士見町1-2
☎️0467-85-3818
水、木休  13:00〜18:00 (不定休あり)
http://brandin.cafe/


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