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チガサキゴトよ、チーガ

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チガサキゴトよ、チーガ

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宮治淳一のワンス・アポン・ア・タイム・イン・チガサキ

其の三

初めて飲んだコカ・コーラ

 昭和37年茅ヶ崎小学校に入学した私の通学路は本村通り、現在は桜道と呼ばれる東西を走る幹線道路だった。舗装がされていない道路に出ると北側丘の上に不気味な木造の別荘通称「三階家」が見えた。その先左手に鬱蒼とした林の中に西村別荘を見るとやがて一中通りと交わり右折すれば東海道線の踏切でまだ地下道はなかった。そこを過ぎ右手に小学生の聖地駄菓子屋「みずしま」、「米山農園」、左手に今は徳洲会病院になっている「大日本塗料」の工場、その裏手には作曲家中村八大氏の家があった。やがて道が二手に分かれ、線路側に進むと映画館「東映劇場」、家具店「緑屋」、鉄筋コンクリートビルの「フードセンター」、万年塀が威圧的だった「マッコール洋裁」そして木造の茅ヶ崎駅にたどり着く。名物の輪タクがいた。

 ある日突然一中通りとの交差点近くにスーパーマーケット「クラウン」が登場した。学校帰りその店頭での試飲会で生涯初めてコカ・コーラというものを口にし、クスリの様な味と臭いがして二度と飲むまいと誓った。「クラウン」は残念ながら5年前その55年の歴史を閉じた。そのスピリットは図書館近くの「マイ・クラウン」に引き継がれている。

編集部より:現在「本村」は東海道線の北側のみ。南側にある桜道を「本村通り」と呼んでいたことについて宮治さんに伺ったところ、昭和37年の周辺地図を見せていただきました。通り名はありませんでしたが、南側の現・若松町は本村の一部だったことが確認できました。

Once upon a time “あの日のラチエン通り”BGM


宮治淳一  Jyunichi Miyaji

1955年茅ヶ崎市生まれ。ラジオDJ、音楽プロデューサー。現在ワーナーミュージック・ジャパンで洋楽編成を担当。「ミュージック・ライブラリー&カフェ ブランディン」を経営する傍ら、ラジオ日本「宮治淳一のラジオ名盤アワー」( 毎週日曜 17:55〜 18:55)、湘南マジックウェイブ「宮治淳一のアワ・ヒット・パレード(土曜 13:00〜14:00)のラジオDJを担当。サザンの名付け親。「ミュージックシティ・茅ヶ崎」を構想中…。

『茅ヶ崎物語〜MY LITTLE HOMETOWN〜』
(ライブ・ビューイング・ジャパン)書籍
『MY LITTLE HOMETOWN 茅ヶ崎音楽物語』(ポプラ社)

DVD
『茅ヶ崎物語〜MY LITTLE HOMETOWN〜』
(ライブ・ビューイング・ジャパン)

BRANDIN(ブランディン)
宮治夫妻が1999年にオープンしたミュージック・ライブラリー&カフェ。コーヒーを楽しみながら60〜70年代のポップ・ロックを中心としたアナログLP約1万枚を自由に聴くことができるほか、いまとなっては希少なジュークボックスでの音楽再生も可能。 

富士見町1-2
☎️0467-85-3818
水、木休  13:00〜18:00 (不定休あり)
http://brandin.cafe/


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