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茅ヶ崎カルチャーの原点を紐解く 誕生から50年、幻のカフェ BREAD AND BUTTER 1976―1979


今から50年前、東海岸南一丁目に一軒のカフェ「BREAD AND BUTTER」が誕生しました。
営業したのは3年と3か月。ミュージシャン、サーファー、学生、写真家、デザイナー、近所の若者たち、後半は全国からも人がやってきました。そして、後に茅ヶ崎のカルチャーを象徴する存在となります。
去る4月にカフェ「BRANDIN」でトークイベント〈※幻のカフェ「ブレッド・アンド・バター」を語る午後〉が開催されました。会場ではブレッド&バターの岩沢二弓(ふゆみ)さん、元マネージャーの安部(あんべ)次郎さんらが当時の記憶を語りました。今回は、このイベントで得られた証言をベースに、カフェ「BREAD ANDBUTTER」を紐解いていきます。
カフェ「BREAD AND BUTTER」の始まりはどこにあったのでしょうか。答えは、ブレッド&バターがレコーディングで訪れたロンドンでの出会いへとさかのぼります。
※2026年4月18日に行われたスペシャル・トークショー@BRANDIN レジェンダリーマスターズシリーズVol. 3 〈幻のカフェ「ブレッド・アンド・バター」を語る午後〉カフェ・ブランディン(茅ヶ崎市富士見町1-2)

1976年6月。東海岸南一丁目、茅ヶ崎市野球場(現在の茅ヶ崎公園野球場)の近くに、一軒のカフェが誕生しました。店の名は「BREAD AND BUTTER」。営業したのは1979年9月9日までの約3年3か月でした。
1973年・すべてはロンドンから始まった
カフェ「BREAD AND BUTTER」の始まりは、茅ヶ崎からはるか離れたロンドンにありました。
ブレッド&バターの岩沢幸矢さんと二弓兄弟は1973年1月からひと月ほど、ロンドンでアルバムのレコーディングを行いました。当時、日本のミュージシャンが海外で本格的なレコーディングを行うことは、まだ珍しい時代。しかもサウンドプロデューサーには、スティービー・ワンダーのレコーディングにも携わったマイケルさんが参加していたといいます。
当時のロンドンには、留学中だった岩倉瑞江さんが住んでいました。友人の紹介で会ったところ、もともと幸矢さんの知り合いだったということもあり、ともに時間を過ごすようになります。そして、日本へ帰国した後も、その交流は続いていきました。
1974年・岩倉邸に集まった若者たち
岩倉瑞江さんの住まいは、ひときわ大きな屋敷でした。敷地は約600坪。庭には25メートルのプールがあり、建物には多くの部屋がありました。その家には親戚の喜多嶋修さんファミリーも住んでいましたが、ロサンゼルスへ渡ったため、瑞江さんは留学から帰国してから一人暮らしが始まりました。そこへ間もなく岩沢二弓さんや仲間たちが出入りするようになっていきます。
一人が住み始めると、その友人がまた別の仲間を連れてきます。ミュージシャン、サーファー、学生など、さまざまな人がともに暮らすようになっていきました。共同生活に決まったルールはなく、誰かが食事を作り、庭ではバドミントンを楽しみ、夏になるとプールに水が張られました。
1974年に発売されたブレッド&バターのアルバム『BARBECUE』のジャケット写真は、この頃の岩倉邸で撮影されました。そこには仲間たちが生活していた空気が映し出されています。
日中はそれぞれが仕事へ向かい、夜になると庭や居間に人が集まり、酒を酌み交わし、音楽を流しながら語り合う、そんな日常が続いていました。

ブレッド&バター『BARBECUE』 日本コロムビア 1974.9.25発売
1976年(前半)・15万円で店を手づくり

黄色の線で囲んだ場所が岩倉邸。赤く塗りつぶした場所がカフェのあったところ。
出典:国土地理院撮影の空中写真(1977年撮影「地理院地図」よりCheeega編集部が追記しました
カフェ「BREAD AND BUTTER」を開くきっかけは、瑞江さんの兄、トムさんが発した一言でした。
「そんなに毎日飲んでるなら、店をやったほうがいいんじゃない。ガレージがあいてるよ、あそこを改造して店にするのはどう?」
庭の脇に建つ約9坪のガレージに店をつくる。予算は15万円。出資の内訳は瑞江さん、トムさん、幸矢さんがそれぞれ5万円ずつ。二弓さんは、「かっこいい店をお金をかけずにつくるには自分たちで作るしかない」と内装作業を担当し、出資金に相当することになりました。
改装は1976年の正月から始まりました。カウンターや後に店を象徴する大きなテーブルや椅子まで、家具のほとんどは、二弓さんらが自分たちの手でつくりました。当時は大人数で囲めるダイニングテーブルは市販されておらず、「みんなで一緒に座れる机が欲しかった」と二弓さんは振り返ります。
大工仕事の経験はありませんでしたが、元々器用で見よう見まねでつくりあげたといいます。木材は、ハイエースを4往復するほどの量を、友人の実家、浅草の材木店から調達しました。
入口の扉だけは職人に依頼しました。建物の雰囲気に合わせた木製のドアが取り付けられ、ガレージだった場所は店の姿へと変わっていきます。
当時の喫茶店といえば、明るい空間が主流でしたが「BREAD AND BUTTER」は壁や天井まで黒を基調としました。窓の外にはプールが広がり、庭の緑が美しく、そのコントラストが印象的な空間になっていました。
1976年(後半)・誕生、カフェ「BREAD AND BUTTER」

1976年6月。ガレージを改装したカフェ「BREAD AND BUTTER」がオープンしました。最初は無理をせず週末だけの営業でスタートしました。「BREAD AND BUTTER」には、明らかにそれまでの茅ヶ崎にはなかった空気が流れていました。外から見ると灯りがともっています。しかし、初めて訪れる人が扉を開けるには、かなり勇気がいる場所だったようです。二弓さんの著書にこんなくだりがあります。
〈※桑田佳祐君もデビュー前に店に来たが、入れなかったらしい。しかし、その思いが残っていたのか、デビューして、すぐに空のプールでの写真撮影に来た。そのとき、置いていったのが「勝手にシンドバッド」のテープだった。〉
二弓さんは、「儲けようという気持ちは、まったくなかった」と振り返ります。利益を追うことよりも、自分たちが心地よく過ごせる場所をつくることが大切でした。
メニューはマカロニサラダやクロックムッシュなどの軽食が中心でした。コーヒーは一杯200円で、おかわりは自由です。使っていたのは、あえてインスタントコーヒーでした。瑞江さんの父親の会社がインスタントコーヒーを扱っていたことから、「インスタントコーヒーを出すカフェがあっても面白い」という発想で取り入れたそうです。
店内は、その場にいる誰もが同じ時間を過ごしているような空間でした。音楽が流れ、誰かが話し始めると、いつの間にかその輪の中に加わっている。そんな雰囲気だったそうです。宮治さんも当時を振り返り、「リラックスできる居心地のいい空間と素敵な音楽は、まさに別天地だった」と教えてくれました。
店員との距離も近く、客として訪れていた安部さんは「暇ならアルバイトしないか」と声を掛けられ、ホールを手伝うようになります。ときには客と一緒に飲むこともありました。
「外で飲むより、ここへ来る方が面白かった」と安部さんは話します。アルバイト代を受け取っても、そのまま店で飲んで使い切ってしまうことも少なくなかったそう。当時の茅ヶ崎には、若者が夜遅くまで集まれる場所は、ほとんどありませんでした。
二弓さんによれば、「最初の一年くらいは、ほとんど客が来なかった」といいます。それでも、一度この店の雰囲気を知った人は、また足を運びました。口コミで少しずつ人が集まり、「BREAD AND BUTTER」は常連たちの居場所になっていきました。
1977年・「ギターないの?」南佳孝さんの演奏で店がライブ会場に

夏に向けて本格始動すると、瑞江さんも勤めていたアパレル会社「ヨーガンレール」を退職し、店は平日も営業するようになりました。迎えた夏、「BREAD AND BUTTER」は多くの人でにぎわいを見せます。
その頃、東京から茅ヶ崎へ移り住み、岩倉邸の近くで暮らしていた南佳孝さんが、一人の客として店を訪れました。夜も更けた頃、「ギターないの?」というひと言から演奏が始まります。その流れで、活動休止中だったブレッド&バターも約2年ぶりに演奏しました。この夜をきっかけに、「BREAD AND BUTTER」は少しずつ音楽の集まる場所として知られるようになっていきます。
もともと「BREAD AND BUTTER」は、ライブを目的に造られた店ではありませんでした。ステージはなく、演奏は階段下のわずかなスペースで行われます。母屋にあったピアノも、仲間たちの手で店内へ運び込まれました。当時はまだ「ライブハウス」という言葉も一般的ではなかった時代です。それでも音楽を愛する人たちは、この場所へ自然と集まってきました。
やがて店の二階には、ブッキングオフィス「Ocean View Project」が設立されます。「次はどんなミュージシャンに来てもらおうか」。そんな話し合いを重ねながら、出演してほしいミュージシャンへ自ら声を掛けていきました。
当時出演したのは、南佳孝さんをはじめ、小坂忠さん、古井戸(加奈崎芳太郎さんと仲井戸麗市さんによるフォークデュオ)など、日本のシンガーソングライターの元祖ともいえる顔ぶれでした。
ライブハウスとしての構想は次第に具体化し、年が明けると店は約2週間休業。本格的に音楽を迎え入れる空間へと生まれ変わっていきました。
1978年・湘南を代表するカフェとして多くの人が訪れた絶頂期
1978年には『POPEYE』や『平凡パンチ』など、当時の若者文化を発信する雑誌が「BREAD AND BUTTER」を湘南を代表するカフェとして取り上げました。それをきっかけに、一気に全国に知られるようになります。
誌面で紹介されると、週末には東京ナンバーの車が店の前に並び、県外からも多くの人が訪れるようになりました。安部さんは、「茅ヶ崎のお客さんというより、週末には東京ナンバーの車が並び、遠くから来る人の方が多かった。九州から足を運んだという人もいた」と振り返ります。
こうして「BREAD AND BUTTER」は、多くの人が憧れる場所となりました。しかし、その絶頂ともいえる時期に、カフェ「BREAD AND BUTTER」は突然その幕を下ろすことになります。
1979年・それぞれが新たな道へ
開店から約3年3か月。1979年9月9日、、カフェ「BREAD AND BUTTER」は、この日を最後に営業を終えました。
閉店の背景にはいくつか理由がありますが、それぞれが新たな道へ進む時期を迎えていたことが大きかったようです。活動を休止していたブレッド&バターは音楽活動を再開し、オーナーの瑞江さんは、後に「スポーティフ」へとつながる新たな取り組みの準備を始めます。岩倉邸でともに暮らしていた仲間たちも、新しい一歩を踏み出していきました。
スタッフとして店を支えたジョージさんは、辻堂で「BREAD AND BUTTER 2nd」をオープンします。店は後に「リトルジョージ」へと名前を変え、多くの人が集まる場所となりました。
さらに、桑田佳祐さんがパーソナリティーを務めていた『オールナイトニッポン』を、「BREAD AND BUTTER 2nd」から放送する企画も実現します。桑田さんは、「BREAD AND BUTTERで放送するなら、本人たちが出演しないのはおかしい」と考え、ブレッド&バターのおふたり、そして宮治さんに出演を依頼し、番組での共演が実現しました。
一方、同じくスタッフだった安部さんは、ブレッド&バターのマネージャーとなります。2004年には、一中通りの海近くにアナログレコードバーをオープンしました。店名の「BB」は「BREAD AND BUTTER」の頭文字に由来しています。
「リトルジョージ」も「BB」も、現在はその姿を残していません。しかし、どちらも「BREAD AND BUTTER」から生まれた場所でした。
2026年・誕生から50年
今回のトークイベントでは、閉店当日に撮影された集合写真も紹介されました。二弓さんや安部さんをはじめ、当時を知る参加者たちは写真を囲み、一人ひとりの名前を挙げながら、当時の出来事を語り合いました。
50年前にオープンした「BREAD AND BUTTER」は、3年と3か月で一軒のカフェとしての役目を終えました。しかし、そこで生まれた人とのつながりや音楽、そして自由な価値観は、茅ヶ崎の風土の中で受け継がれ、現在もこのまちのカルチャーを形づくっている一つの源流となっていることは間違いありません。
※伝説のカフェ「ブレッド&バター」岩沢幸矢 岩沢二弓 (ワニブックス 2011年発刊)Fuyumi’s Story P75より引用






