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チガサキゴトよ、チーガ

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ずっと茅ヶ崎で暮らしたい

開高健記念館に行ってみた

 茅ヶ崎と聞くと、開高健の名をあげる人がしばしばいる。昨年仕事をご一緒した八十代の人気作家・S先生もそうだった。茅ヶ崎に住んでいることをお話しすると、S先生も真っ先に開高健の名を口にした。

 「茅ヶ崎といったら開高健でしょ。確か記念館があったわよね。最近出た『開高健のパリ』は読んだ? 私、あの人の文章大好き。心を鷲掴みされる、素晴らしい文体だと思う」

 開高健……もちろん名前は知っている。旅や釣りをテーマに数々のルポを書き残したことも、まん丸ほっぺの恰幅のいいオジサンだということも知っている。だが、作品を拝読したことはない、記念館に足を運んだことも、まだ一度もない。

 茅ヶ崎市民にして物書きを生業にしているなら、開高健くらい読んで然るべきか。何よりS先生の「あの人の文章大好き」の一言が大いに気になり、まずは開高健記念館に行ってみることにした。

 記念館があるのは東海岸南のラチエン通り。作家の居宅がそのまま記念館の建物になっている。ごめんくださいとドアを開けると、二十畳ほどのリビングに本人の著書や写真パネル、手書き原稿などが展示されている。ムダにだだっ広くなく、これ見よがしな装飾品もなく、そこはかとなく漂う昭和の生活感がなんとも懐かしく心地いい。

 さらに奥に進むと書斎がある。残念ながら中には入れず、テラス側からガラス越しに中を覗き見ることしかできないが、この書斎がまた昭和レトロ、質実剛健でじつに男前だ。赤い絨毯に掘りごたつ式の大きな机。その上には本とカメラと原稿用紙と灰皿。壁には先生の戦利品と思しき大魚の剥製の数々。すべて生前のまま残されているせいか、室内は温もりがありどこか生々しい。書斎の奥に見える台所から、先生がひょこっと姿を現しそうな気さえする。

 それにしても、なぜ開高先生は茅ヶ崎にやってきたのだろうか。「本と紙で溢れそうになった杉並の家を離れ、海にほど近いこの地に仕事場を建てた」ということらしいが、はっきりした理由はどうも定かでない。やっぱり海のそばを終の棲家にと考えたのだろうか……などと想像しながら年表や昔の写真を眺めるうち、私は先生が五十八歳で亡くなったこと、もとは純文学作家で芥川賞を受賞したこと、往年と違い当時は細面のナイーブな青年だったと知った。

 文学青年だった先生は、サントリーでコピーライターをしながら芥川賞作家となるが、内面によりそって書くことをよしとせず、作品の題材を社会に求め、ベトナム戦争を取材し冷戦まっただ中のベルリンやパリを精力的に見て回る。行動する作家としての名声を博しつつも小説ではスランプに陥り、それを脱するために体験ルポを書いたとも言われる。命を張った渾身のルポは、世界を活写するためではなく、自身の内面を抉り、晒し、表現しようと試みた作家の七転八倒の軌跡。だからこそS先生はその文体を絶賛したのだ。

 開高先生は、その後もカナダ、アラスカ、モンゴルと世界を股にかけて旅をしまくり、様々な作品を発表し続けた。癌で入退院を繰り返しながらもひたすら書き続け、遺作となった『珠玉』が「文学界」に掲載されたのを見届けて息を引き取った。

 死ぬには早すぎるけれど、どこか羨ましいとも思う。最後の瞬間まで夢中になって向き合えるものを持つ人は、きっと死線さえも軽々と超えてしまうに違いない。

『開高健記念館』は現在(2020年3月31日)休止中です。
下記リンク先で開催情報をご確認のうえ、お出かけください。
【茅ヶ崎ゆかりの人物館・開高健記念館のfacebook】


藤原千尋
ふじわらちひろ/1967年東京生まれ、2006年より茅ヶ崎市松が丘在住/出版社勤務を経て単行本ライター。ビジネス、教育、社会貢献、生き方老い方など幅広いジャンルの企画とライティングを手がける。

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