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チガサキゴトよ、チーガ

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ずっと茅ヶ崎で暮らしたい

家と人生とさよならの時間

 家探しを、しなければならなくなった。家主の事情により、10年ほど住み続けた借家と、はからずもさよならすることになった。 

 借り物の住まいだから、いずれは出ていく日がやってくる。わかってはいたけれど、いざお別れとなると、にわかに心にさざ波が立つ。

 洗面所もないし、夏の風呂場には無数のアリンコがたむろするし、冬には隙間風が吹きすさぶとんでもないボロ家だったが、これまで暮らした家の中で、なぜかいちばん心が落ち着いた。ここに帰ってくると、無条件にくつろげた。雨露しのぐだけでない、人生を包む「家」というものを、私はこの借家によって経験させてもらったのかもしれない。

 とんでもないボロ家とけなしたけれど、ここは待ちに待って出会った物件だった。当時私は離婚したばかりで、仕事場を確保できる広さがあって、小さな犬と暮らせて、娘が転校せずに済んで、なおかつ日当たりがよく家賃が格安というハードルの高い家を探していた。何軒もの不動産屋を当たっては、「それはむずかしい」とさじを投げられ、どこか妥協するよう幾度も勧められた。

 だが、それでも諦めず、粘り強く待ち続けた半年後のある日、とある不動産屋から間取りが書かれた一枚のファックスが届いた。それは自分の希望条件がすべてクリアされた、ウソのような物件だった。築年数は古かったが、そんなことは気にもならなかった。むしろ小さな庭も付いていて、心が躍った。

 もうすぐ、その庭にある黄色いビヨウヤナギの花が咲く。薄紫色のガクアジサイも花をつける。当たり前の風景だったから、気にもとめずにきたけれど、今年で見納めかと思うと、まだ咲かないでいいよと言いたくなる。いっそのこと、次に住む家に連れて行ってしまおうかさえと思えてくる。こんな未練タラタラで、次の家探しなんてできるんだろうか。

 家への思いは、どうやら娘も同じようだ。娘はわが家がボロであることを、さほど気にしていなかった。「キレイな家に住めなくてゴメン」とこぼしたこともあったが、そんなの平気、と笑っていた。

 私は仕事柄出張することも少なくなく、その間娘は一人で家で過ごしたが、人恋しくて誰かの家に入り浸ったり、家に友達を呼び集めることもなかった。「さみしくないの?」と聞くと「全然。家にいれば落ち着くから」と事もなげに言う。当時は気づかなかったが、ひょっとすると、家そのものが、娘に寄り添い、守っていてくれたのではなかろうか。

 この時期、毎年のように格闘を繰り広げた(シャワーで流しまくる)風呂場のアリも、最近はあまり姿を現さなくなった。不思議なことに、彼らは壁と浴槽の隙間に自分たちのための通路を盛り土状に作り、そこを行き来するようになった。結果、洗い場の方にワラワラやってこなくなった。長年の戦いの末、互いの陣地が定まり、晴れて共生に至ったということか。たまに何匹かこっちに迷い出してくるけれど、神経質に追い払う気持ちは、もうない。

 こうして振り返ると、ますます名残惜しくなる。日焼けた襖、建て付けの悪い網戸を眺めては、あれやこれやの思い出が交錯し、時の経つのも忘れて立ち尽くしてしまう。

 万感胸に迫る、は大げさだけど、しばらくはこの思いに浸ろうと思う。心残りがおのずと潰え、次の扉を晴れやかに開くには、惜別の時間をたっぷり費やすに限るのだから。


藤原千尋
ふじわらちひろ/1967年東京生まれ、2006年より茅ヶ崎市松が丘在住/出版社勤務を経て単行本ライター。ビジネス、教育、社会貢献、生き方老い方など幅広いジャンルの企画とライティングを手がける。

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