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ずっと茅ヶ崎で暮らしたい

なりゆき任せすぎのフリー人生

ずっと茅ヶ崎で暮らしたい

 東海岸南にフリーランスで働く人のためのシェアハウスがあると、先日テレビで観て知った。

 将来を見据えて自力で稼げるようになりたい、時間や場所に縛られずに働きたい。そんな人たちがフリーとして自立するには、仲間や先輩に相談し、共に成長できる環境が必要。そんなアイディアから実現したのがこのシェアハウスなのだという。

 取材を受けていた若い女性は、都内の服飾系の会社に勤務していたが、自力で稼げるようになろうとウェブデザイナーを目指し、このシェアハウスへの入居を決めたと話した。また別の男性は、若いうちにフリーとして経験を摘みたいと、安定した公務員の職を捨ててここへやってきたと語っていた。

 画面に映る二人は、働くことにとても真摯だった。将来を考えてフリーを選んだと語る表情は、マスク越しにもキラキラ輝いて見えた。それはもう、ちゃらんぽらんな我が身が申し訳なくなるくらいに。

 何しろ私がフリーになったのは、満員電車がどうしてもイヤだったから。人にあれこれ指図されるのがイヤだったから。子育てするなら時間が自由になるフリーになるしかないと短絡的に思ったから。要するに、先のことも、実力があるかも考えず、とにかくやりたいようにやるという最悪のパターンをたどってフリーになってしまったのである。

 ちなみに、私のような書籍のライターは雑誌やウェブのライターと違って定期的に仕事が入るわけではない。自分で企画を考えて版元に持ち込んでバンバン稼ぐ人もいるが、自分にはそんな企画力も、数をジャンジャンこなす気合もない。一冊入魂といえば聞こえばいいが、自分程度の書き手はおそらくいくらもいる。 結局、人に指図されるのがイヤと言いながら、私がなんとか生き長らえているのは、書き手を信頼し励ましてくれる、編集者さんという「人」のおかげなのである。

 そもそもなぜ本のライターになったのか、よく考えると自分でもわからない。本が好きだったわけでも文章が得意だったわけでもない。向いてなさそうなこと、やりたくなさそうなことを消していったら、本の仕事に行き着いた。「こうなりたい」より「これやりたくない」で選んだ結果、今の仕事に流れ着いたという感じ。こんなんでよくもまあ今までやってこられたと、情けなくなるような、自分を褒めてやりたいような。

 もし仮に当時こういうシェアハウスがあったら、私は入居を考えただろうか。悩みや達成感を分かち合い、互いに価値観を共有し合う関係性の中で、自らの成長を実感できる環境を選んだだろうか。

 選びたい。でもたぶん選べない。コミュニティの中で才能を伸ばす人たちを心のどこかで羨みながら、自分は自分でやれるはずと、強気なのか弱気なのかよくわからないまま突き進んじゃったに違いない。なりゆき任せなだけじゃなく、小心でひねくれているんだろうなあ。

 正直いうと、なりゆき任せすぎたという悔いもある。あれイヤこれイヤ言ってないで、堪えて踏ん張る胆力を、あるいはシェアハウスの若い人たちのような柔軟性や計画性を、身につけておくべきだったのかもしれないと今にして思う。

 彼らにとっては当たり前のことを、今頃ようやく気づくとは。叶うことなら時計の針を巻き戻し、30年前の自分に「もうちょっとよく考えな」と囁いてやりたい心境です。


藤原千尋
ふじわらちひろ/1967年東京生まれ、2006年より茅ヶ崎市松が丘在住/出版社勤務を経て単行本ライター。ビジネス、教育、社会貢献、生き方老い方など幅広いジャンルの企画とライティングを手がける。

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