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是枝裕和監督と小さくなった茅ヶ崎館


欠けてしまったものを少しでも元の形に近い状態で復活できるように

「自分が愛した、自分を育ててくれた場所が存続の危機にある時に、声を上げることはとても大事」と、是枝裕和監督は胸の内を明かしてくれた。
日本を代表する世界的な映画監督が、海外向けクラウドファンディングを通して呼びかけている。「欠けてしまったものを、少しでも元の形に近い状態で復活できるように協力します。ここを愛してくれる人たちの気持ちが集まって、茅ヶ崎館が次の世代、また次の世代へ受け継がれていくような存在になるといいですね」
是枝裕和監督がはじめて茅ヶ崎館の暖簾をくぐったのは、19年前の2007年。東京生まれ、東京育ちの監督は、当時映画を作り続ける生活のリズムに変化が起きないことに悩み、句読点の打てる場所を探していた。最初は冷やかし程度に、「小津にあやかって」泊まった茅ヶ崎館の二番の部屋で、『歩いても歩いても』の脚本を書き上げた。
やがて、自身の立ち上げた映像制作会社・分福に所属する監督や、監督の卵たちと合宿するようになった。多い時は15、6人。会社の年中行事のように茅ヶ崎館にやってきた。構想を練って、企画書や脚本を書き、書いたものを全員が発表し、それを全員で評価する。最終日のご褒美は、名物のすき焼き。
午前中の監督は、できるだけ海へ行く。海辺を歩き、戻ってきて食べる朝ごはん。気分転換に入る風呂の素晴らしさ。書く以外のことはなるべくしないように、特別に何かをするのではなく、削いで削いでシンプルに少なくしてくる。自分を更新する句読点を打つために。
やってきたことを総括して、何ができて何ができなかったのかを言語化する。そうやって、また次へ向かう。「割と真面目なことをしているんです」と、照れたように話す監督にとっての茅ヶ崎館とは、そういう場所だった。具体的な作業をしなくても、それまでの一年間の仕事に区切りをつけるために来る。そんな場所でもある。
「豊かな歴史のある日本映画ですが、小津安二郎や溝口健二の初期の作品がフィルムで残っていない。海外の人たちから見たら、信じられないのではないでしょうか。これは、映画の置かれている日本の文化的な状況のなせる所以だと思います。そこに気付いて、ようやく、保存していこうとする意識が共有されつつあります。作品以外にも、映画の記憶が蓄積されてきた場所は残してほしい。失くしてしまったら、映画というものが後の世に届くのだろうか。不安はあります」と、映画界の抱えているひとつの問題を指摘する。
3年前の本誌インタビューで是枝監督は、「茅ヶ崎館が残ってくれないと困るから、大事な所だとみなさんにわかってもらえるように、やれることは何でもやります」と、答えていた。今回、浴場の建築資金をクラウドファンディングで調達するための協力を惜しまない監督に、あの時の伏線回収ですねと質問すると、穏やかな表情が一瞬引き締まる。「まずはお風呂が復活しないと回収されないからね。まだまだ途中です」
「ここに来て、一晩過ごした時に、こういう場所から何かが生まれるのだなって本当に感じました。日本だけじゃなくて、海外の人たちもきっと感じるものがあるでしょう。本の書き手に限らず、こういう場所って大事なんだなって、わかってもらえるような気がします。ぼくがそうだったから」
茅ヶ崎館は敷地を縮小、母屋を減築して再稼働しました「明治時代の唐傘天井風呂」は、資金面などの課題から復元には至っていません。

文章:小島秀人 kanoa
写真:位田明生




